#ハリウッド映画は人類の洗脳が目的

前の本で、スピルバーグの映画にはメッセージがあると書いた。では、今度のジュラシック・パークはどうなのだろう。どうかこれから言う事を、未来小説だと考えてほしい。そうでないと、ただでさえおかしな牧飾と評判の私は、ますます危険人物になってしまう。

近年、ハリウッドから生み出される映画
は、私には何かの目的で作られる、キャンペーン映画のように思える。ヒトラーが映画を便って人心を動かしたように、無意識に何かを人間の悩に植え付ける洗脳映画と言ってもいいかもしれない。シンドラーのリストももち論そうだ。もし、ある人がかつて一度もなかったものを作り出したとしよう。

しかし、それがあまりにも今までの常識とは掛け離れていた場合、自分の仲間たちに衝撃を与えないためにあらかじあなんらかの方法でそれを知らせておく必要があるかも知れない。スタートレック、ターミネーター、ジュラシック・パークなどの映画はどことなく映画を越えた現実味を与えるように思えないだろうか。ジュラシック・バークはクローン技術の映画であった。

生物の非常に徴細な部分から遣伝子さえ手に入れれ
ば、その生物を全く同じ大きさにまで再現できると言うこのクローン技術は、すでにレタスでは可能であり、単純な動物でも成功したと伝えられている。人間のクロ−ンは難しいのだろうか。実は伝えられるほど難しい事ではないのだそうだ。一九六○年代の始めからこの人間クローン・プロジェクトが動ぎ出している。ここでクローン人間に至るクローン発達の歴史をたどってみよう。
 

一八九○年うさぎの胎児を別のうさぎ(養母)の子宮に移すことに成功。
一九四四年人間の卵子が試験管の中で人工的に受精させられた。
一九五二年インディアナ大学のブリッグスとキングがかえるのクローンに成功した。
一九七○年代 ランド社が、将来「卑しい仕事をするため」に遣伝学的に〃近人間〃(Para‐human)が作られるだろうと予言した。これと は別に、彼自身、生物学者であり遺伝学を学んだロード・ロスチャイルドは、自己中心の狂信者たちがクローン工場を個人的に作るかもしれないと警告した。

また彼は遣伝学者たちにクローン技術を世界的
に管理支配する組織を作り、悪い目的でクロ−ン人間を利用しようとする人々から守らなければならないと提言している。彼はそれを『遣伝学管理委員会』と呼ぶようにと言っている(このようなことを心配する必要があったわけである)。
一九七七年 非常に裕福な人のクローンに成功したと言う報道がなされた。これはエスタブリッシュメントの強い攻撃を受けた。その本は詳細を隠されて一九七八年に出された。著者は隠蔽され、合衆国国会はこの本の暴露した内容についての査間委員会を作り、医者の証言を集めて、人々にクローン技術の倫理間題を心配させた。著者はクロ−ンの事実を信じていたらしいのだが、医者たちやエスタブリッシュメントはこれはフィクションであると主張した。

一九八○年 馬の子の胎児を双子にさせることに成功した。羊と牛はすでにその前に成
功している。
一九八一年 ねずみのクローンに成功。牛の胎児の移転がもうかる仕事になった。
一九八三年 水牛の胎児を他の水牛の子宮に移す事に成功。
一九八四年 人間の胎児を他の母の子官に移し産ませるのに成功。

一体、人間のクローン、全く同じ人
間を作り出すなどということが、なぜ必要なのだろう。彼らの言う「卑しい仕事をさせるため」と言う言い訳はとても話にならない。そんな事は普通の人間でも十分に間に合う。何しろ彼らは人口を減少させようとしているのである。また、洗脳、脅迫などあらゆる手立てで、人間を奴隷化しているのが実惰である。クローンの場合、例えばある人のクローンは作る事が出来るとしても、五○歳の人間を作るの
には五○年かかるのだろうか。そうしたらその人はとっくに死んでしまうだろう。

だから彼らは人造人
間(シンセティック)や生物ロボットを作る。これは人間のコピーが必要な時に有効である。例えば今、クリントンが死んだとしよう、彼らは次の人材を手にいれる間、人造人間で代用させるのかも知れない。これは、例えば彼らにはロシア革命の時、レーニンが死んだ決定的な時に彼らの最も有能なエイジェントのトロッキーがたまたま病気だったために、スターリンに権力を奪われた苦い経験がある。

あるいはルーズベル トの死などいつも生身の人間には不確定な要素がつきまとう。だからいつもコピーを用意しておけば安心というわけだろう。人間のコビー。この信じ難い発想はサタンが神の創造の力に対抗しようとする本性の暴露以外のなにものでもあるまい。このコピー人間はすでにいるとも伝えられている。人造人間は
すでに一九七○年代にイルミナティによって作り出されているという。あるいはこれが人造UF○の搭乗員なのかもしれない。また有機的ロボットはクローン人間とも合成人間とも違い、生物コンピューターを埋め込まれた生物ロボットだという。これはほとんど人間と見分けがつかないという。

このロボット
についてのインサイダー・インフォメーションは、例の『ターミネーター』と言う映画がそうなのかもしれない。私はあの映画のビデオを大変な忍耐を持って見たが何ともいえない不気味さで恐ろしかった。しかし、いずれにしてもこんなものを作る意図が分からない。要するに全く自由意志のない人間を作りたいと言う事なのだろうか。私はほとんど頭がくらくらするような状態で考える。クローン人間には魂はあるのだろうか。それは一人の人間の二つの体なのか。それとも二つとも(あるいは無数の)一人の人間なのか。これは全く悪夢だ。情報によればアメリカの幾つかのへんぴな山の中の地下に、巨大なトンネルの工場があってこのクローン人間の研究が進められているという。

これは全く昔の
少年雑誌の未来小説だ。現実のジュラシック・パークには恐竜のクローンはいないかも知れないが、人間のクローンはいるかも知れない。読者はこんな馬鹿な事に付き合っていられるか、と言われるかもしれない。私もそう思う。しかし、私はこの情報をもたらす人物を信頼している。彼は嘘をつく人ではない。だから困惑しながら〃もしかしたら〃とお知らせするのである。イギリスには人間の遺伝子を入れた豚が四七頭いるという。これらの豚は人間の臓器移植のために作られたものである。

特に豚の心臓は
人間の心臓に一番近いと言われる。しかし、どんな理由にせよ、人間と豚をかけあわせるような行為が許されるものだろうか。これほどひどい人間性への悪徳があるだろうか、また、神の創造の御業への冒漬があるだろうか。聖書は次のように言っている、「ぶどう畑に二種の種を混ぜてまいてはならない。そうすればあなたがまいた種から産する物も、ぶどう畑から出る物も、みな忌むべき物となるであろう。牛とろばとを組み合わせて耕してはならない。
羊毛と亜麻糸を混ぜて織った着物を着てはならない」申命記22:9〜11 
 

これは極めて控え目な表現だが、異種間の混合を禁じている箇所である。こ
こから、例えばライオンとヒョウの合いの子レオポンやろばと馬の合いの子ラパなどの異種間の結合を、聖書は禁止しているものと考えられてきた。そしてこれらの異種間混血種には子孫が出来ない事はその証明だと考えられてきた。しかし、今や人間は、遣伝子に手をつけ始めている。これは恐ろしい事である。遣伝子の操作によっては全く今までなかった生物を作り出す事も出来るのだから、これは神の権限への明白な越権行為である。今後どんな生物を人間は作り出すのだろうか。

それは人間に有益であ
ろうか。私は遣伝子の研究によって、進化論は壊滅的な打撃を受けるだろう、またはすでに受けただろうと思っている。生物の体のどんな徴細な一片からでもその生物を特定できると言うのだから、猿は猿、人は人という当たり前の事が証明される日が来るだろう。あるいはすでに来たけれどまたしても隠蔽されているのだろう。遣伝子はたった四つの要素からなり立っているという。この無数の生物がたった四つの要素から成り立っているというのも不思議ではないか。前にこの四つの要素を音符にして遣伝子の組み合わせを音楽にして奏でられた音楽を聞いた事がある。それは軽やかなワルツのようであった。

天地創造の日、宇宙は四つの音符で奏でられる
いく万、いく億のワルツで満ち溢れたのだろうか。さらに不思議な事には聖書では宇宙や地球など神の創造を表すのに四という数を用いる。エデンから流れ出た四つの川。地の四隅。四方から吹く風。四人の御使い。そしてキリストの地上の生涯を語る福音書は四つである。ところで遣伝子というのを我々の若い頃は染色体と呼んでいた。この染色体は女の方が男より一つ多い。なぜだか知っていますか?それは神が女を創造したとき、アダムのあばらぽねの一本を取って作ったからである。アダムのあばらぽねは
エパに一本あげたから少ないのだ。あばらぽねとは遣伝子の事だったのだ、というのは私の創作によるジョーク。染色体の写真はなんとなくあばらぽねに似ていませんか。