彼等は我々の富をつかって我等を奴隷とする。

こうしたやり方で悪魔が我々キリスト教徒の間に自分の天国を持つ事ができた時には彼は笑い踊るので
はないだろうか。そこでは彼の使徒であるユダヤ人を通して悪魔は我々の所有物をむさぼり食らい、
我々に感謝して我々の口と鼻を満たし、神と人間を冒涜し呪うのである。彼等がダピデ王やソロモン王
の下でのエルサレムで自分が所有していたものは、我々の下で日々盗み略奪しているほどではなく、こ
れほどに良き日々を享受する事はできなかったのである。

それでも彼らは我々が彼らを捕囚していると文句をいうのだ。そう我等はユダヤ人達を所有し、捕囚し
ている。丁度私が自分のリューマチや「肺病」や、他のすぺての病や不幸を持ち続けたいように。誰が
自分の持つ金や財産やすぺての物を持参して迄貧しい召し使として待っていなければならないのか,私
はそれらの災いがユダヤ人とともに、そしてまた彼等と一緒に居たい者は誰でもエルサレムへ行ってく
れれぱと願う!我々が彼等を捕囚しているわけではない事は明らかなのだから、それ程偉大で高貴な聖
人達が、どうして我々に封してそれほどまでに怒るに値するのであろうか?我々は彼等がイエスの母、
マリアをさう呼ぶようには自分達の妻を売春婦とば呼ばないし、また我々は彼等が我等の主を呼ぶよう
には彼等の事を私生児などとは呼ばないのである。我々は彼等を呪わず、あらゆる種類の肉体的、精神
的な幸せが彼等の上にあるよう祈り、我々と一緒に暮らす事を許している。我らは彼等の子供を誘拐せ
ず、切り刻む事をしない。彼等の水に毒を入れる事をしない。彼等の血を渇望する事もない。何によっ
て我々はかかる神聖なる神の子達の恐ろしい怒り、妬み、そして憎しみに値するのであろうか?神が正
気とはおもえぬ無分別と荒れ狂う心を持って彼等を処罰したという事は我々がモーセから引用したとお
りである。かくしてユダヤ人達がエルサレム崩壊後の三○○年間にわが主やキリスト教徒、そして(ま
だその目や肌に揮きがある)子供達に流させた汚れのない血に対して仕返しをしなかったということ
は、我々の失敗であった。我々が彼らを殺害せず、彼らの全ての殺人、呪い、冒涜と恥辱に対してとが
めもせずに我らの間に住まうことを許し、彼らの学校、家、体、財産を守り、それによって彼らを怠惰
にし、彼らが我々から金銭や
財産を絞りとるのを信頼して保証し、手助けした。それに加へて我々をあざけり、つばを吐きかけ最終
的には彼等が我々に勝利し、その様な大きな罪によって我々全員を殺害し、我々の財産のすぺてを持ち
去る事を望み、日々祈っているのである。こうしたすぺての事は我々の失敗である。教えて欲しい。彼
等には我々呪われたゴイムを僧み、呪って我々の最終的で完全な、そして永遠の没落を求める大きな動
機がないのだろうか?
今や、我々はこれらの受け入れられない呪われたユダヤ人達をどう取り扱おうとしているのであろう
か。我々の間に彼らが存在し、彼らの内部のうそや冒涜、そして呪いについて知った後では、我々は彼
らの嘘や呪いや、冒涜の共犯者にならないようにそれに黙って悩んでいるべきではない。私たちは、消
す事のできない神のしずめる事はできないし、またユダヤ人達を改宗することもできない。我々は祈り
と敬虔さをもってその炎と激しい熱の中から数人でも救いだせるよう、大いなる慈悲を実践しなければ
ならない。復讐は我々に許されていない。復讐は我々が彼らに抱くよりも千倍も増幅して彼らの首にま
といつくであろう。私はあなたたちに私の本当の意見を述べる事にしよう。第一に我々は彼らの会堂と
学校を避け、また人々にそれらに対して、反対するように警告する。こうした事は、神とキリスト教会
の栄光のためになされるべきで

ある。そしてまた、我々がキリスト教徒であり、神の御子とキリスト教徒に封するそのような嘘や呪い
や冒涜を承知の上でそれに封して寛容なのではない事を神にわかっていただくようになされるぺきであ
る。

何故なら、我々が無知で寛容である限り(私自身もその事を知らなかった)我々をお許しになるであろ
うから。しかしながら我々がそれを知った今は我々の目と鼻の先で、その中でユダヤ人達がキリストと
我々を冒涜し、呪い、つぱを吐きかけ、恥辱をもたらす、そ

そのようなユダヤ人達の建物にそうした事にもかかわらず我々が寛容であるなら、良く御存知の如く、
それはあたかも我々自身かそれをなしたか、あるいはもっと悪い事をなしたのと同様に大変な事になる
だけなのである。モーゼは申命記のなかいる。もしモーゼが今日生きているなら、彼はユダヤ人達の学
校や建物に火をつける最初の人間になることであろう。(聖書からの証言に従えば)第二にあなた達は
彼等が自分の家を栽々の中に建てるのを拒否せねばならない。何故なら、彼らは自分達の学校で行って
いるのと同様の事を自分達の家の中で行っているのだから。その代はりに、彼等が自ら誇っているよう
には我々の国の王侯などなのではなく、捕らえられて放浪の身の上なのだという事を思い知らすために
彼等をジプシーのように軒先か馬小屋に置いても良いであろう。休みなく血なまぐさい殺人を吠えた
て、神の御前で我々に不乎をこぼす彼等にふさはしく。第三に嘘と呪いそして冒涜が教えられる彼等の
祈祷書及びタルムードの全著作を彼等から没収すぺきである。第四に彼等のラビが説教をする事を禁止
せよ。彼等は貧しいユダヤ人達をモーゼの七、十一、十二の章句でとりこにし、その様な仕事への権利
を剥奪したのである。モーセはそれらの章句において、そうしなければ身体と魂を失うとして彼等のラ
ピ達に従うよう命じているのである。しかしながら、モーゼは明確に付け加へている。「主の律法に基
づいて彼等があなたに教える事柄に閣しては...」と。この事を不心得者達は見過ごしているのだ。そし
て、主の律法に逆らって彼等の恣意に貧しい人達が服従するのを利用して彼等にその様な毒と冒涜を降
り注いでいるのである。第五に街道でのユダヤ人の保護は廃止さるぺきである。何故なら彼等は貴族で
も役人でもないし、我が国にいる権利はないのだから。彼等は家の中にとどまるぺきである。現在我国
ではある金持ちのユダヤ人が十二頭だての馬車に乗っていると聞いている。そのユダヤ人はコハプ
(Star Bar Kochab)、「星の息子」この偽メシアは紀元一三二〜五ローマに封するユダヤ人の最後の反抗
のリーダーであった。一になりたがっているわけである。彼は高利貸しを王侯や貴族達、地域住民、民
衆に封し営んでい

る。高官たちはこの件に関して黙認している。もしあなたがた、王侯及び諸侯の方々がこうした高利貸
し達に対してこの地に住み、街道を往来する事を禁じないならば私はあなた達に封抗するために騎兵を
集めたいと思う。何故なら、あなた方はこの書物を通してユダヤ人とは何者であるか、また彼等がいか
に扱はれるぺきか、そして彼等の行動が保護さるぺきではないという事がよくわかったであろうから。
彼らの醜悪な行為のパートナーになりたくなければ、あなた方は彼らを保護すべきでないし、またそう
することはできない筈である。あなた方がたとえ彼等の事をよく配慮してやったとしても、その結果は
良くてあなた方が減びるだけの話しなのである。第六にユダヤ人達にとって異国の土地において、自分
の国の中の主人公でもない場所においては彼等の高利貸しは禁止されるぺきてある。それはモーゼによ
って禁ぜられていたのであり、すぺての貨幣、銀、そして金は没収し、保管のために持ち去られるぺき
である。こうした理由から彼等はほかに収入はないのだから彼等が所有しているすぺでのものは高利賃
しによって(上述のごとく)我々から盗み略奪したものなのである。その様な財宝は次の如く使用され
るぺきである。即ち一人のユダヤ人が真に改宗した際にはいつでも、彼の人柄に応じて彼が自分の貧し
い妻子や老人や弱者達を養うために一、二あるいは三○○フロ(金銭の単位)が与えられるであろう。
不正に獲得されたかかる財産は、それが神の祝福を受けられるような正当な使用がなされぬ限り呪われ
たものとなってしまうからである。

彼等はモーセを裏切る事さえする

いつでもユダヤ人達は、モーゼが異邦人に封し高利貸しを営む事を彼等に許可したのだと公言する。
(申命記二三:二○「異邦人には利息を取って貸しても良い。ただ兄弟には利息を取って貸してはなら
ない。これはあなたが入って取る地であなたの神、主がすぺてあなたのする事に祝福を与えられるため
である」。)さもなければ彼らに有利な章句は何もないのだ。彼等には以下のごとき解答が与えられて
いる。即ち二種類のユダヤ人又はイスラエル人が存在する。一つは神がモーゼに命じたごとく、モーセ
に導かれてエジプトを出てカナンの地に入った者達。彼等に封してモーゼは神の戒律を与え、彼等ば外
国に出ることなく彼等の国土でひたすらメシアの到来までその戒律を守り続けていた…もう一つはモ−
セのユダヤ人ではなく(ローマ)皇帝のユダヤ人である。彼等は統治者ピラトの時代のユダの地に起源
を持つ。ピラトが法廷の場で「キリストと呼ばれるイエスについて余はどうすぺきなのか」とユダヤ人
に尋ねた時、彼等は叫んだ。彼を十字架にかけよ!彼を十字架にかけよ!」ピラトは言った。「お前達
の王を十字架にかけるのか」と。仮等は叫ぷ。「皇帝以外に栽らは王を持た
ぬ」と。このやうな皇帝への服従を神はユダヤ人達に命じだことはなかったのであるが、彼等は自発的
にこれをなしたのである。その後すぐに皇帝が服従を命ずると彼等は反抗し、彼にはむかって今や臣下
である事を望まなかった。そこで皇帝はユダヤ人達を工ルサレムから追放し、彼の完全な領土の中に分
散させ、そこで彼等は従はざるをえなかったのである。現在ユダヤ人といふクズどもがいるのはこうし
た事情によるものである。彼等の事はモーゼは何も知らない。ユダヤ人達も彼について何も知ちない。
彼等はモーゼの一節も暗唱していないのだから。彼等はまずカナンの地に戻り、モーゼのユダヤ人とな
って彼の戒律を守り異教徒や異邦人達を平定せねばならない。そこで彼等は異邦人達が許容する限りに
おいて高利貸しを営めば良いのだ。

だが彼等がローマ皇帝の領土である外国にいてモーゼの教へに従おうとしないのであれば彼等は皇帝の
法を守り、モーゼの戒律に徒うようになるまでは、仮等より身分が上位の方達に逆らって高利貸しを営
むぺきではない,とうふのは彼等が所有すぺき土地、あるいはイスラエルの国とはカナンの反対側の岸
であるからてある。モーゼはエジプト人やバビロニア人あるいは他のどんな国民の下へ送られたのでも
なく、自ら申命記の中てしばしば述ぺているごとく、エジプトを出てカナンの地に連れて来られただけ
なのである。彼等は彼等がョルダン河の反対側に所有するとした領土においてその様な戒律を守るぺき
である。ほとんどモーゼによって作られた聖織者達、儀式、公国君主の権力に関する限り、それらはも
はや一四○○年以前に崩壊してしまったのであるが、その時代以前に存在したモーゼの律法もまた崩壊
し終わりをむかえた事は確実である。それ故皇帝の下でのユダヤ人達は皇帝の法によって扱われるぺき
であり、一四○○年間一人も存在しなかったモーゼのユダヤ人のように扱われるぺきではないのであ
る。彼等はモーゼによって自分達が高利貸しを許された自らの国土を持たず、ましてや外国の領土を持
たぬのであるから。最後に一若く頑強なユダヤ人達には(麦打ち用の)「からざを」や斧、踏みすき紡
錘が与えられて、アダムの子達に課せられているのと同様に、自分達のパンを鼻頭に汗して稼がせるぺ
きである。創世紀三:一九「あなたは顔に汗してバンを食ペ、ついに土に帰る。あなたは土から取られ
たのだから。あなたは塵だから、塵に掃る」彼等神聖なる民族がストーブの後ろにいて、怠けながら我
らのバンをむさぼり喰らい、さらに自分達がキリスト教徒のご主人様であるなどとホラを吹きつつ、我
ら呪われたゴイムをして額に汗して働かすぺきてあるなどと言う事を許しておくぺきではない。彼等の
怠借は彼等の過去からもたらされるものなのである。しかしながら、彼等が我々に奉仕させられたり、
働かされた時には、彼等は我々、我々の妻、子供達、召し使、家畜などを身体的に

傷つける可能性がある。何故ならその様な労働になれていない世界の高貴な王侯達、つまり有毒な苦い
姐虫どもは呪われたゴイム達の下で自分達を卑しめる事をするのには極めて不熟心であろうからであ
る。我々はフランスやスペイン、ボヘミア及びその他の場所での諸国民のユダヤ人に対する、ごくあた
りまえな知恵を採用しよう。これらの諸国民達はユダヤ人達が高利貸しによってむさぼり取った額を計
算させそれを平等に分配したのである。その上で彼等はそれらの国から追放されたのである。既に話し
たように彼等に封する神の怒りは非常に大きいので、穏やかな慈悲によってでは彼等はより罪深くなる
だけであり、ただ苛烈な仕打ちによってのみ少しはましになるのである。それ故彼等を追放しょうでは
ないか!