彼らの救世主は「にせもの」である。

最後に私は自分自身に以下のごとく言い聞かせる。もし神が私に封しユダヤ人達が望み希望する救世主とは異なった救世主を与える事を望まないのであれば、私は人間でいるよりも雌豚になった方がずっと良いのだ!この事に関して私はあなたがたに幾つかの正当な理由を示す事にしよう。ユダヤ人達は彼等の救世主にコハブや世俗的な王になって欲しいと強く望んでいるだけなのである。その王とはキリスト教徒を虐殺し世界をユダヤ人のあいだで分割し、そうして彼等を金持ちの王侯とし、最後には他の王や彼の子供達と同様に死んでいくような世俗的な王にである。

もし、ユダヤ教の救世主が私という哀れな人間を私の精神的な損失にもかかわらず、救ってくれないのだとすれぱ、そして私の人生を雌豚のそれの十分の一も良くできないのだとすれぱ彼は私にとって良いものと言えるであろうか。私はいうであろう。わが主なる神よ、あなたの救世主を我が物とする者に与えたまえ、と。だが私は雌豚に変えて下さい。何故なら全く死んだ人間であるより生きた豚の方がましであるから。そう、キリストがおっしやったように「生まれなかったとしたら、それはその人の為にはましだったろうに」。

しかしながら、もし私が霊的に私を救済し給う救世主を得られるなら私は死を恐れる必要はないし常にそして永遠に人生に確信を持ち、悪魔や地獄をあざけり、神の怒りの前に身震いする必要もないであろう。その時には私の心は喜びで飛び跳ね、幸せに酔いしれる事であろう。そして私は神への愛の燈をともし、神に感謝し、神を賛美するのをやめないであろう。もしその時、神が私に金や銀や他の富を与えなかったとしても、全世界は私にとってバラダイスてあるだろう。たとえ私が牢獄に住まねぱならないとしてもである。その様な救世主を我らキリスト教徒は持っているのである。それゆえ
我々は圧倒的な心の喜ぴを以って父なる神に感謝しているのである。そのようなメシアをユダヤ人達は望まない。彼等にとって、そのようなメシアはどんな善い事も与えはしない。彼等は自分達の悪臭発する腹を満足させてくれ、また、牛や犬のように彼等と共に
死ぬような地上の楽園のメシアを所有しなければならないのだ。
 

彼等の神への冒涜と高利貸しを警戒せよ。

私の考えでは以下のような結論にならざるをえない。もし我々がユダヤ人達の涜神から潔白で、彼等の共犯者になってはならぬとすれば、我々は彼等と分離して住まねばならないし、彼等は我々の国を離れねばならない。かくして彼等は、もはや我々が彼等を捕らえていると嘆く事もできないし、神に嘘をつく事もできない。我々も彼等が涜神と高利貸しによって我らを悩ますと嘆く事もなくなるであろう。これが両者に封して安全を保証する最も手っ取り早い最善の方策である。

(この後にはキリスト教の教義に反するユダヤ人達のキリスト教に封する非難に聖書からの長い引用による反論が績いている。−−英訳注)