ユダヤ人と彼等の嘘

 
*この内容は、週刊日本新聞さんのサイトから、転載させていただきました。

この翻諱は偉大な宗教改革者が、人間関係における世界で最も深刻な問題の一つを取り扱った文書の、
最初にして唯一の英語版である。マルチン・ルター(ルーテル)師がユダヤ問題を取り扱ったといふこ
とは事実上、アメリカ国民から一貫して隠されてきており、この本の出版は、キリスト教的アメリカに
センセーショナルな衝撃をあたえ、それに変化をもたらすことを断言するものである。
 
 
 

この書を読むことはこれまでに出版された本の中でも、もっともセンセーショナルで考えさせる言に触
れることとなるであらう。プロテスタンティズムの開拓者であるルター師によって書かれたこの論文を
出版する者たちは必ずしもこの書物と自分たちが同じ立場であるとして出版するわけではない。この出
版の主な理由は公人にとって、論議するにはもっともデリケートで危険な問題の一つであるユダヤ人問
題についてルーテルがいったことの正確な翻訳を読者に提供することにある。この翻訳は宗教的な仕事
とか、党派的な論文といふことでなされるわけではない。我々が原語でこの本を見つけ出し、その翻訳
の手配にかかったとき、我々は、広範な、様々な方面からの妨害に直面して、驚かされることとなっ
た。2人の翻訳者が脅迫を受け、文章は簡潔であるにも関わらず、かなり劇的な経験を経て、初めて
我々はその翻訳を完成し得たのである。この本の翻訳(作業を経る事)によって、我々は次第にこの書
物を隠されたままに
 

しておこうとする巧妙に組織された陰謀が存在することを確信するに至った。
ルーテルにとって、ユタヤ人と関わったその経験は彼を失望させるに充分なものてあった。彼はユダヤ
人たちを永年にわたり改宗させようと努力し続けた。聖パウロのように彼はユダヤ人たちに福音を伝え
ようとした。しかし読者もすぐ理解するように、後年彼は、自らのこの方面での努力は全て無駄であっ
たとの結論を付けるのである。

本書は何よりも内容の正確さを尊重する立場から出版される。それゆえ、もしこの書の中に十六世紀、
ドイツの高度な専門的知識を持った研究者の手によって誤りが発見された場合、我々はそれを次の版で
改定する用意がある。この小さい本に封する需要は非常に大きいので我々はそれが数限りなく版を重ね
るのを期待している。我々は誠実なキリスト教徒のあいだにマルチン・ルーターほどの卓越した人物の
著作が彼の数知れぬ崇拝者達の目から巧みに且つ、故意に遠ざけられたままであったという事実に封す
る深い怒りが起こっていることを発見している。

ルーテルの幾つかの言は、読者に衡撃を輿えずにはおかないであろう。しかし、この改革者の言葉に
我々が同意するかしないかではなく、彼が書いたそのままのものを読者に提供すること、これこそが
我々の仕事なのである。

この翻訳は一つの基本的な目的のためになされる。即ち、我々の世代がユダヤ問題に直面した初めての
世代ではないということを知るために。それは、また、第二の目的のために出版される。即ちユダヤ問
題に警戒心を持つという事が、そのままこの問題に警戒心を持つ人間が必ずしも堕落していたり、キリ
スト教精神に反しているわけではないのだという事をあらわすためにである。

(注)疑惑を持つ人々ヘー−この著作がマルチン・ルターのものであるかどうか疑いを抱く人も何人か
いるであろう。本書の原文に関してはワシントンDCにある国会図書館や、幾つかの信頼されるぺきルー
テル派の神学校にあるルーテルの著作集の中に見つけることができるてあろう。すぺての宗派の教恨り
ない聖職者達がこの著作の存在に気付いている。我々が確かめうる限りにおいて、彼らは又本書がアメ
リカで出版される最初の英語版てあるという事実にも気付いているのである。

(注)このルーテルの著書は彼の全著作の最後のものの中にある。ルーテルは六十三才までしか生き
ず、その人生の最盛期に亡くなったのだということを思い起こさねぱならない。

(注)この著作の読者はルーテルのユダヤ人に封する見解がプロテスタントの立場からの必然的なもの
であると結論づけないで欲しい。(実は、この問題に関して)多くのカトリックの教皇達もルーテル師
が用いる言葉程、強くはないとしても、同程度の強さの言葉は使用していたのである。事実、教皇の回
勅によってゲットーが創設され、ユダヤ人と、キリスト教徒社会を分離することがローマから発せられ
た回勅によって開始されたのである。この注の目的は読者に問題は単にプロテスタントとか、カトリッ
クとか、また他のいかなる宗派にもあるのではないということに注意を喚起することにある。すぺての
信仰するものが、ルーテルに同意するかしないかなのである。