湾岸戦争はアラブ人口を減らすための戦争?

一九九○年八月十日、イラク軍がクウェートに侵攻した。これに対し、クウェート解放の旗をかかげたアメリカ軍を中心とする多国籍軍が介入し、一九九一年一月十六日、イラクに対し軍事的な攻撃を開始した。これが湾岸戦争の発端である。民主主義と自由を守るためにクウェートを解放せよという錦の御旗を掲げたわりには、実際アメリカ人の多くはクウェートがどんな国で、どんな人が住んでいるのかさえ知らなかった。なぜ突然、そのような未知の国のためにアメリカ軍がわざわざ出向いて行き、血の犠牲まで払わなければならなかったのだろう。

クウェートの自由のため。世界経済の安定のため。原油生産をイラクに握られないため等々、さまざまな理由・動機・目的が掲げられたが、最もあいまいなま放置されたのが、イラクとイスラエルはどこが違うのか、という問題だった。イラクのクウェート侵攻に対しては、直接攻撃されたわけでもない米・英・仏などの国がやっきになり、戦争を起こして自国民の血を流してでも阻止しようとした。しかし、かつてイスラエルが侵略していまだに占領したままのョルダン河西岸、ガザ地区から撤退せよ、という国連協定二四二条を無視し続けていることには目をつぶったままである。あるいは、イラクが原爆を所有しているのはけしからん、といきり立つくせに、二百発も原爆を持っているイスラエルに対しては何も言わない。

クウェートを解放するためというのが真の目的ならば、なぜ連日連夜イラクの首都バグダッドを空襲し続けたのか?イスラエルの存続のためには、アラブ人口が少なければ少ないほど好都合だ。シオニストたちの目標は、できるだけアラプ人を滅らし、自分たちの支配を確実にすることである。そしてそれは、西欧キリスト教国家が自分たちの中近東、地中海近辺の植民地主義、帝国主義的支配を揺るがぬものにするためにも、必要不可欠な重要事項であった。戦争という正当(?)な手段によって「不幸にも」大量のアラプ人口が滅った、ということなら言いわけもたつ。

イラクがクウェートに侵攻したのは事実だし、原油確保、サウジアラビア保護という大義名分もあるのだから、願ってもないチャンスだった。資金についても、日本やドイッが中近東の原油に依存していることを強調・宣伝し、戦闘に参加しないのなら金を出せと脅しとることができる。アメリカ中・世界中に「日・独はケチだ、自国さえよければいいのだ」とバッシング記事をバラ撒いてやれば、イヤでも出さざるを得ないだろうと踏んだに違いないのである。それにしても、アメリカが命令すると日本は尻尾をまいて服従する。第二次大戦に敗けたことが、今も尾を引いているのだろうか。

フレーム・アップ

アメリカの政治家の七割は、ユダヤ系やプロ・イスラエルの人々から政治資金援助を受けている。したがって、ユダヤ系に関係する事項はほとんどが可決される。湾岸戦争における上院・下院投票では、ユダヤ系、プロ・イスラエル、そして中近東の植民地的な支配を続けたいという権力者たちの圧力があったために、世論の大半は戦争反対だったにも関わらず、開戦という方向に決定してしまった。上院五二対四七、下院二五○対一八三。小差で

はあったが、アメリカ議会は戦争を支持したのである。戦争となればアメリカ兵も死ぬかもしれないし、多数の死者が出れば国民の怒りを買って再選を諦めざるを得ないかもしれない。政治家にしても難しい立場だったろうが、これら政治家を動かしたのは、やはりこの戦争で利益を得る人々の意向であった。アラブ人口が滅ること、それも合法的に滅ることは、イスラエルにとってまたとないチャンスである。マスコミを握っているユダヤ系、プロ・イスラエルたちは、あらゆるメディアを使って、連日連夜、戦争支持を煽った。

実際、私の友人たちのうちで戦争を支持する者は二、三人しかいなかったのだが、マスコミはアメリカ人の八○パーセント以上が戦争支持であると書き立てた。私は戦争反対だから、話し合いと物資の制膜、経済封鎖などで解決すればいいと思った。原油や経済利益のために戦争をし、指導者が独裁者で、侵略を開始したからといって、その国の人々まで殺すことは、明らかな非人道的行為である。アメリカ軍のバグダッド空襲で死んだのは、大多数が非戦闘員だったのだ。アメリカのマスコミは、必要以上にアメリカ軍を賞賛することで、戦争はよい方針であるかのように宣伝し、軍人の家族などの感情的な意見や、銃後の守り、といったような「美談」のみを発表し続け、あたかもそれが代表的な世論であるかのように国民に印象づけた。なぜもっと一般市民の懐疑を会平に報道しなかったのか?

「この戦争の圏的は何か」「なぜアメリカが介入しなければならないのか」「同じようなことをしているイスラエルは、なぜとがめられないのか」こういう重大な疑間は、討論されないのはもちろんのこと、まったく報道されることがなかった。イラクのフセインはこんなに悪い奴だ、それを支持する国民も悪いやつらだというような記事だけが、毎日、紙面やテレビにあふれた。戦争を正当化して、それを支持しない者は「愛国心がない」という世論を勝手につくり出したのもマスコミである。

アメリカの資金不足は日本や西独がケチなせいだと、ジャパン・バッシング、ドイツバッシングが新聞でもテレビでも繰り返された。私はこの時期に二つも日本弁護の記事を出さざるを得ない立場に置かれた。幸いこの二つの記事は活字になった。その間、ジャバン・バッシング記事はフロリダや南部諸州では少しは滅ったようにも思う。かくしてこの戦争中、アメリカのマスコミは、そのユダヤ系擁護、イスラエル支持の路線をむき出しにして戦争を煽りたてた。イスラエルにしてみれば、みずから金を出す必要もなく、アメリカの兵隊を利用し、合法的にアラブ人口が滅る。この戦争ほど喜ばしいことはなかったに違いない。腹が立つのは、この戦争が終結したあと、アメリカから三千六百億ドルの金がイスラエルに支払われ、日本からもトルコやイスラエルに五二憶ドルもの資金援助が約束され、さらに武器などもイスラエルに与えられているということである。