◎パリサイ派と闘い謀殺されたイエス・キリスト


『新約聖書』冒頭の「マタイによる福音書」全二十八章だけでも、イエスの敵、イエスの殺害を執念深く企図する「パリサイ人」という名が、二十六力所にわたって出てくる。さらにこのほか、パリサイ派と同義語(パリサイ派が完全に実権を握っていた)の(ユダヤ教の)「祭司長」「民の長老」「学者」「大祭司」の言葉がそれと同じくらい現われる。のちに、キリスト教会のなかに浸透したパリサイ派の工作員が、全力をあげて『新約聖書』の偽造を画策したにもかかわらず、パリサイ派にとって不都合なこれらの言葉が残ってしまった(パリサイ派はそれらを抹殺しきれなかった)のである。たとえば、次のようなものである。

禍害なるかな、偽善なる学者パリサイ人よ、汝等は人の前にて天国を閉じて、自ら入らず、入らんとする人の入るも許さぬなり。
(「マタイによる福音書」第二十三章十三節)

イエス、エルサレムに上らんとなしたまうとき、ひそかに十二弟子を近づけて、途すがら言いたまう。「神よ、我らエルサレムに上る。人の子は祭司長、学者等に付されん。彼らこれを死に定め、また嘲界し、鞭打ち、十字架につけんために異邦入に付さんヽかくして彼(人の子イエスを意味する)は三日めに蘇るべし。(「マタイによる福音書」第二十章十七〜十九節)

「マタイによる福音書」には、イエスの敵としてパリサイ人と並ぴ「サドカイ人」(ソロモン王の時代にさかのぼって、ユダヤ教の祭司階級の特権を独占したサドクの子孫たち、いわばユダヤの貴族)も記述されている。当時のユダヤのサンヘドリン(最高評議会)の全議席数七十のうち、数名がサドカイ派、残りのすべてがパリサイ派であったという。つまり、聖書は、かろうじて真実の記録を保存なしえたらしい。現行の福音書をなんの先入観や偏見もなしに読む人は、パリサイ派(当時のユダヤの支配層)が、イエスを計画的に謀殺したことをたちどころに了解するだろう。そして、なぜ、パリサイ派がそうしなければならなかったのかも、理解できないことではない。イエスは、パリサイ派ユダヤ教徒を、神の仮面をつけた悪魔教徒として激しく弾劾した。

では、この二千年前の「パリサイ派」の運命はどうなったのだろうか。ルイス・フィンケルシュタイン(この姓はドイッ系ユダヤ人に多い)というユダヤ人学者の著書『パリサイ派』(一九四六年、アメリカ・ユダヤ出版協会発行)には、次のようにある。

パリサイ主義はタルムード主義になった。タルムード主義は中世のラビ主義となった。中世のラビ主義は近代ラビ主義となった。しかし、古代パリサイ派の精神は不変のまま保持された。(序文より)

このように、事実上イエスの時代のパリサイ派は、今日まで生き続けているのである。
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