◎エピオナイト派によってつくられたラテン語聖書


千数百年の長きにわたって、キリスト教会が神霊を受けて書かれた神聖なる書としてきた「ラテン語訳聖書」(「ヴァルゲート」と称する)は、西暦三七○年ごろ、第三十七代のローマ法王ダマスス(在位三六六−三八四年)が、セント・ジェローム(聖ヒェロニムス)に聖書のすべてをラテン語に翻訳することを命じてできあがったものである。このセントジェロームが、パリサイ派ユダヤの命によって

キリスト教会のなかに潜入していた、エビオナイト派の工作員であったという。このころ、聖書の写本は世界中に散乱しており、それらは一つとして同じではなかった。こうしたおぴただしい種類の写本は、勝手な解釈がつけ加えられていたり、書き写す際の間違いが随所にみられた。あるものに至っては、筆写時に居眠りでもしていたのか、脱落だらけで読むことすらできなかったといわれている。

これを正そうとしたラテン語訳なわけだが、ジェロームは自分の意見に従って宇句を変え、省略をし、好き勝手な文句を書き加えた。これによって、パリサイ派ユダヤのキリスト教徒皆殺し(根絶するまで一人残らず殺し尽くす)の大陰謀は、完壁な成功を収めたといわなければならない。なぜなら、イエスはパリサイ派ユダヤ教を悪魔の徒党と決めつけ、彼の弟子たちもユダヤ教ときっぱりと絶縁し、ユダヤとの戦いのなかで初期キリスト教を布教していったはずなのに、その後のお人好しのキリスト教徒たちは、パリサイ派の謀略と撹乱工作の浸透をやすやすと許してしまい、ついには命より大切でなければならない聖典、信仰の基盤である経典そのものの編集権をさえ、このパリサイ派の工作員に奪い取られる始末となったからだ。四世紀、つまり、あの有名なコンスタンチヌス大帝が、キリスト教をローマ帝国の国教として受容し、キリスト教の「大勝利」が達成されたと思われたそのときには、すでにキリスト教会はその根幹部分で、パリサイ派ユダヤに降伏していたのである。この時点で、キリスト教の脱イエ

ス化、脱キリスト教化、ユダヤ化の布陣は完丁していたのである。コンスタンチヌス大帝の時代に、キリスト教会の奥の院、すなわち聖書とその解釈権は、イエスを十字架につけて謀殺した、あのパリサイ派ユダヤの手中に落ちていたのだ。キリスト教国のなかでユダヤ排斥運動が起こると、ユダヤ教徒は「我々を排斥することは我がユダヤ民族が諸君に送った救世主を排斥することだ」と反撃してくる。そしてこの無法ないいがかりに、キリスト教徒はいかんともすることができないようにユダヤの罠にはめられているのだ。
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