相違ない。紀元二世紀から四世紀ごろ、たしかにパリサイ派ユダヤ教は、存亡の危機に瀕していたといわなければならない。そこで彼らは、起死回生の奇手を考えだした。工作員をキリスト教会内に送り込み、「キリスト教はユダヤ教から出たものである」「キリスト教というものはユダヤ教をそっくり、多少の添削をしてつくりあげたものである」「完全なキリスト教徒になるには、まずユダヤ教信者とならなければならない」「モーゼの律法がなにものよりも最高位にあること、ヘプライの頂言者およぴその預言が真正なものであること、ユダヤ教の背景をなす議長政治のことなど、すべてユダヤ的なものを承認したあとでなければ、キリスト教に踏み込むだけの資格がない」などなど、イエスの教えと正反対のユダヤの教えを、キリスト教徒の心に執拗に刷り込むのである。なかでも、彼らが最重点とした事項は、キリストもユダヤ人であるということを、キリスト教徒の頭に焼きつけることだった。ユダヤ人がいなかったらキリストは生まれなかった。キリストが生まれなかったなら、キリスト教もありえようはずもないという詭弁である。イエスが口をきわめてののしった、その当のユダヤ教を新しいキリスト教神学の基礎、背景に据えてしまう。これが、パリサイ派ユダヤから派遣されたエビオナイト派の教師たちの任務だったのだ。