これがいまのパレスチナであり、イスラエル
である。この地とカナーンの人々は、人類全体に対する最大の呪いとなり、いまに及んでいるという見方もありうる。この仮説をたてて聖書全巻を通読すると、いまユダヤ人といわれている人々とその宗教は、実はカナーンの流れではないかと思われてくる。つまり、いまユダヤと称している人々は、セム系ではなく、むしろセムを敵としてきた人々ではないか、という推理が成り立つかもしれない。カナーンの流れとは、悪魔崇拝の流れ、悪魔学の流れを意味する。聖書の同節は、神に反逆し、悪魔を崇拝するカナーン人と、神を信じるセムやヤペテの子孫の戦いというところに見出すべきではなかろうか。カナーンの流れの本体をひと言で要約すると、それは「寄生主義の覇権」(ミューリンズ)となるのかもしれない。
宿主に寄生して、寄生生物が宿主を逆に支配し、宿主の主人となって宿主を奴隷に仕立ててしまうという論理である。この論理(目的)を実現するための最短経路は、宿主の心、神経中枢や脳にとりつくことであろう。宿主が寄生生物こそ自分の主人であり、寄生体なしに(寄生生物を排除すれば)自分は生きられないと幻覚させる。これが実は、人類にとりついている「カナーンの呪い」だったのではなかろうか。キリスト教徒は、これに気づいているのだろうか。そして、イスラムはどうなのだろうか。
マホメットはたしかにそれに気づいていたようにもみえるのだが。