59「カナーンの呪い」とは何か

『旧約聖書』の
「創世記」第九章二十四節から二十七節に、ノアがぶどう畑をつくって収穫した
ぷどう酒に酔いつぷれ、丸裸で寝ている情景が出てくる。それを見たノアの三人の息子のうち、セムとヤペテはノアに着物をかけてやるのだが、そうしなかったハムにノアは目が覚めてから激怒しその息子のカナーンに「カナーンは呪われよ。カナーンは、兄弟たち(セムとヤペテのこと)一の奴隷のそのまた奴隷となれ」という。これは「創世記」、いや聖書全巻を通じて、もっとも深い謎に包まれている一節ではなかろうか。なぜ、ノアは彼の孫のカナーンに、これほどの怒りをぶつけなければならなかったのか合理的な説明は、聖書では与えられていない。しかし、カナーンにかけられた呪組は、彼らの住んだ土地(カナーン)にも浸透した。

これがいまのパレスチナであり、イスラエル
である。この地とカナーンの人々は、人類全体に対する最大の呪いとなり、いまに及んでいるという見方もありうる。この仮説をたてて聖書全巻を通読すると、いまユダヤ人といわれている人々とその宗教は、実はカナーンの流れではないかと思われてくる。つまり、いまユダヤと称している人々は、セム系ではなく、むしろセムを敵としてきた人々ではないか、という推理が成り立つかもしれない。カナーンの流れとは、悪魔崇拝の流れ、悪魔学の流れを意味する。聖書の同節は、神に反逆し、悪魔を崇拝するカナーン人と、神を信じるセムやヤペテの子孫の戦いというところに見出すべきではなかろうか。カナーンの流れの本体をひと言で要約すると、それは「寄生主義の覇権」(ミューリンズ)となるのかもしれない。
 

宿主に寄生して、寄生生物が宿主を逆に支配し、宿主の主人となって宿主を奴隷に仕立ててしまうという論理である。この論理(目的)を実現するための最短経路は、宿主の心、神経中枢や脳にとりつくことであろう。宿主が寄生生物こそ自分の主人であり、寄生体なしに(寄生生物を排除すれば)自分は生きられないと幻覚させる。これが実は、人類にとりついている「カナーンの呪い」だったのではなかろうか。キリスト教徒は、これに気づいているのだろうか。そして、イスラムはどうなのだろうか。

マホメットはたしかにそれに気づいていたようにもみえるのだが。