57ユダヤの謀略によるキリスト教犯罪史

『シオン長老の議定書』第十七章に、「法王庁(バチカン)を根こそぎに破壊する時期が到来すると、隠れたる我々の手の指が、各国民を法王庁へと差し向けるであろう。そして各国民がそこへ殺到したら、我々は表面上法王の擁護者として登場し、流血の惨事を大きくしないように鎮静する」と記されている。これは約百年前にまとめられたパリサイ派ユダヤの綱領である。日本人のなかには「キリスト教は極悪の宗教である」「神の福音を掲げた二千年は人類固有の文化の破壊と殺りくの歴史、キリスト教犯罪の軌跡」などというもののいい方に、簡単に乗せられるおめでたいところがある。これは、ユダヤが己の犯罪のすべてを、キリスト教会とイエス・キリストになすりつける算段ではなかったのか−−少なくとも、このように疑ってみることが必要ではなかろうか

ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』のあの有名な「大審問官の場」で、イエスがこの
世に再臨したとき、キリスト教会の大審問官はイエスを逮捕して投獄し、あの世に追い返したという、一度読めば決して忘れることのできない印象を与える文章を残している。西暦一一五年、ユダヤがローマに対して反乱を起こしたとき、エジプトとキレナイクで武装せるユダヤ人は、二十万人のキリスト教信者およぴ異教徒を殺りくし、キプロス島のユダヤ人は、大部分キリスト教徒からなる二十四万人の同島住民を殺したと記録されている。ユダヤは同時に、原始キリスト教会のいわば大本営、本丸に浸透し、その教義のなかにパリサイ悪魔教の毒を注入する作戦に全力を集中した。この毒が徐々に徐々に回っていき、キリスト教の変質が進行したのである。ユダヤとの戦いにおける、キリスト教徒の弱点はなんなのだろう。それはキリスト教徒の善良さ、純真さ、素朴さ、寛大な心そのものではなかったか。
 

「左のほおを打たれたら、右のほおを差し出せ」、「汝の敵を愛せ」はまさしくイエスの教えである。ユダヤは、イエスに忠実なこのキリスト教徒の「人のよさ」にどこまでもつけ込んでくる。だが、キリスト教徒をして、全財産を身ぐるみ巻き上げてしまうぐらいでは終わらない。いまや、自らの犯罪のいっさいをキリスト教会のせいにして、これを滅ぼそうという段階に入っているのである。