ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』のあの有名な「大審問官の場」で、イエスがこの
世に再臨したとき、キリスト教会の大審問官はイエスを逮捕して投獄し、あの世に追い返したという、一度読めば決して忘れることのできない印象を与える文章を残している。西暦一一五年、ユダヤがローマに対して反乱を起こしたとき、エジプトとキレナイクで武装せるユダヤ人は、二十万人のキリスト教信者およぴ異教徒を殺りくし、キプロス島のユダヤ人は、大部分キリスト教徒からなる二十四万人の同島住民を殺したと記録されている。ユダヤは同時に、原始キリスト教会のいわば大本営、本丸に浸透し、その教義のなかにパリサイ悪魔教の毒を注入する作戦に全力を集中した。この毒が徐々に徐々に回っていき、キリスト教の変質が進行したのである。ユダヤとの戦いにおける、キリスト教徒の弱点はなんなのだろう。それはキリスト教徒の善良さ、純真さ、素朴さ、寛大な心そのものではなかったか。
「左のほおを打たれたら、右のほおを差し出せ」、「汝の敵を愛せ」はまさしくイエスの教えである。ユダヤは、イエスに忠実なこのキリスト教徒の「人のよさ」にどこまでもつけ込んでくる。だが、キリスト教徒をして、全財産を身ぐるみ巻き上げてしまうぐらいでは終わらない。いまや、自らの犯罪のいっさいをキリスト教会のせいにして、これを滅ぼそうという段階に入っているのである。