47 「アメリカのもっとも危険な男」ウィリアム・ダッドレイ・ベレー

ウィリアム・ダットレイ・ペレーは、キリスト教徒としてユダヤと戦ったアメリカの「愛国者」として、おそらくは筆頭にあげられるアメリカの「英雄」ではないだろうか。

第二次大戦前に出版され、アメリカをキリストの教え、「キリスト教経済学」によって再建しようとする彼の著作『飢えなき生活』は、あの大恐慌の時代の数年間に、およそ四百万部が販売されたという。同書は日本語にも訳されている(昭和十六年)ものだ。ちなみに、当時の「猶太研究」誌には、彼の『ユダヤ問答集』も五回にわたって連載されている。最近アメリカで発行された二十世紀のアメリカの「右翼」「レイシスト」の系譜を詳述した著作によると、ペレーは一九三○年代の「キリスト教右翼」のなかに位置づけられている。また、『飢えなき生活』の日本語版解説では、ペレーは二十何年か前(大正初年のことか)、日本に来遊した経験があり、「日本人の不思議な魂に驚嘆し、そこになにか偉大な暗示を得た」と回顧している。

事跡としては一九二七年、彼はカリフォルニアの山中にこもって宗教的霊感を得、イエス・キリストの再臨は近いと信じ、一九三三年のナチス,ドイツ政権出現のあと、ヒトラーに共鳴してイエス・キリストを名誉党首とするアノリカ銀シャツ党を創設した(一九四○年時で二万五千人の党員がいたとされる)。そして一九四二年、ルーズベルト政権はペレーを国家反逆罪
で逮捕し、懲役十五年の刑を言い渡している。

このときすでに彼は六十歳前後と思われるが、死去の年は不明というのが彼の生涯であった。ともあれ、この時代に、ペレーは「アメリカのもっとも危倹な男」と通称されたというが、はたしてそうだったのか。一九四○年の時点でアメリカ国民の八○パーセントは、ルーズベルト・ユダヤ政権が意図するアメリカの、ョーロッパ・アジアの戦争への参戦に反対していた。ルーズベルト政権とユダヤとの関係についてはここでは略すが、一例として参戦反対陣営の幾多の有力な政治家(上・下両院議員や州知事ら、ルーズベルトの政敵たち)が、このころ相次いで暗殺されていることをあげておこう。

こうしてアメリカを奴隷化したユダヤは、アメリカ国民の絶対多数の意思を踏みにじって、ユダヤの世界支配のために、アメリカを第二次大戦に動員したというのが歴史の真相のはずである。ペレーの『ユダヤ問答集−−四十五の質問への回答』を読むと、彼が真のキリスト教徒として、かなり高度の水準まで原始キリスト教とユダヤ・パリサイ派の戦いの其実に肉薄していることがわかる。この重要なアメリカのキリスト教徒、アメリカの愛国者が、日本人にはほとんど知られていないことは遣憾としなければならない。