46 ロシア・キリスト教徒とユダヤの戦い

ロシア民族が、ギリシア正教というキリスト教を受容して一千年になる。そうしたなかで歴史をみるとき、八世紀ごろにロシアの隣りのカザール(カスピ海周辺に位置し、もとはトルコ系の遊牧民族が建てた王国)がユダヤ教に改宗して、ユダヤ教を国教とするカザールとキリスト教を国教とするスラプが、直接、国境を接する事態となったことは重大だ。実に、ロシアのキリスト教徒とユダヤ教徒の運命的な戦いは、ここに始まるからである。ロシア(スラプ)人の由来はつまぴらかではないが、大ざっばには、いわゆる「白人」の一種
なのであろう。

ある種のロシア人は、自分たちをアーリア人種と称しているようだ。したがって、ずっと昔にさかのぼれば、ゲルマンとも同祖であるのかもしれない。ともあれ、十三世紀にモンゴル軍がロシアを征服し、このとき、カザール・ユダヤ王国はモンゴルのために滅んだ。そして、カザール・ユダヤは民族移動を起こしてポーランド、ロシア、ハンガリー、バルト海沿岸、ドイツなどに移り住むが、その大部分はロシアとポーランドに定着し以後、ロシアとカザール・ユダヤの戦いはロシア内での疾患となり、イワン・アレクサンドローウィチ・ロジオーノフ(?−一八四○年)は、「これらの卑劣なる、危倹なる、会戦には憶病なる、だが厚顔無恥にして残忍酷簿、強欲無比で復轡を好み、ロシア人を蛇や毒虫のごとく軽蔑し、そして世界中でもっともロシア人を憎んだ者……これらの人々はユダヤ人であったのだ」(『タ刻の犠牲』)と述べる。また、ロシア最大の作家である、あのドストエフスキーは、『作家の日記』中で「ユダヤは口シアを滅ぼす」とロシア民族に警告した。さらに、ロシア民族の「天才的指導者」とされるローザノフ(一八五六−一九一九年)は、ユダヤ教を「恐怖の宗教」と呼ぴ、「ユダヤはその本質上、アーリア人種との関係において、信じがたい苦痛と憎しみの悪魔的巣窟である」にもかかわらず、「我々(アーリア人種)の無邪気と信
じやすい性質」によって、「ユダヤ人はともかくも、その『恐怖の宗教』をキリスト教に縫い合わせることに成功した」と書き残している。

ロシアとユダヤの戦いは攻守ところを変えながら連綿と続いた。一九一七年十月のロシア革命が、ユダヤの仕掛けた謀略であることはよく知られるようになったが、当時、ソ連の権力を握ったユダヤ人によって、数年の間に何百万人ものロシア・キリスト教徒が惨殺されたこと、そして、レーニンとスターリンの時代にソ連共産党政権が、合計六千万人のロシア人を殺りくしたことは、善良素朴かつ、キリスト教とユダヤ教の底知れぬ相克と軋轢についてなんの情報も与えられない日本人には、理解しがたく信じがたいものだ。いや、ソ連ばかりではない。歴史の新しいアメリカについてもまた同じである。次にその一端
をみてみよう。