44 ゲルマン民族とユダヤの一千年の死闘

フランスの作家ルイ・フェルナンド・セリーヌ(一八九四〜一九六一年)によれば、フランク王国を独仏伊の三力国に分割したベルダン条約(八四三年)が、アーリア人種=ゲルマン人種の不幸とユダヤヘの屈伏の始まりだそうだ。チャールスー世(カール大帝やシャルルマーニュとも称される、在位七六八〜八一四年)は、ゲル
マン的フランク王国の長として、今日の英独仏伊(栖ョーロッパ)に君臨したが、この大帝が実は、まぎれもないユダヤ人の味方であり、ユダヤ人を随喜せしめる特権を与えた。また、その世継副ルイ敬虔王(在位八一四−八四○年)の時代には、これがさらに悪化した。彼はユダヤ人に保護令を与えた最初のキリスト教徒の君主であった。

そしてルイ王の死後、ゲルマンの王国はユダヤ人とそれに従うキリスト教徒の共謀によって解体された。ここからゲルマン=アーリア人の果てしもない悲劇が始まると、セリーヌは記述している。してみると、ゲルマン=アーリア人はほぼ八世紀の終わりごろから、一千年以上にわたってユダヤとの死闘を続け、今日に至っているらしい。ョーロッパの歴史は、大方の日本人の頭ではあまりにも複雑すぎて、とても理解できない。西洋史の学者は少なくはないだろうが、彼らはあいにく、それぞれの専門領域に細分化されざるをえない。加えて、ヨーロッパ史はユダヤ教対キリスト教、それにイスラムの三つどもえで織りなされているからだ。日本民族の九九パーセントはユダヤ教やキリスト教、イスラムと無縁だから、このままでは、日本人は永久にョーロッパ(ロシアを含む)の深層を理解できないで終わってしまうのではなかろうか。

ゲルマンないしアーリア系白人種の国家は、だいたい八世紀から十世紀ごろにキリスト教(西ローマ教会およぴ東ローマ教会)を受け入れ、国教としているのだが、実はすでにこのとき、キリスト教会の内部深く、ユダヤが浸透していたのだった。そしてこの事実を見抜いた者は、一人もいなかったのではなかろうか。では、純朴ですれていないゲルマン=アーリア人たちを、キリスト教会の仮面をつけたユダヤは、どのように料理したか。ユダヤの戦術はゲルマン(アーリア)を分断し、不和を人工的につくりだし、互いに憎しみ合わせ、殺し合い(不断に続く戦争)をさせることであったと、セリーヌはいっている。ユダヤは舞台裏で「死の商人」として暗躍し、金のカでゲルマン貴族と富廷に、そして高位のキリスト教僧侶にとり入る(彼ら上流階級をユダヤ金権の魔力に取り込む)のである。