33 ユダヤのバビロンの捕囚期に起きたもの

紀元前五八六年、新パビロニア王国によってユダ王国(ソロモンのへプライ王国は、北のイスラェル王国と南のユダ王国に分裂し、北王国は紀元前七一三年にアッシリアによってすでに滅ぼされている)が滅亡し、この王国の上層基幹部分一万人以上が捕虜としてバビロンに幽囚された。そして、約五十年後、ペルシャが新バビロニアを滅ぼしたあと、捕囚のユダヤ人はペルシャによって解放されたというのは、確かな歴史の記録であり、我々もよく知っている。けれども、このバビロンの捕囚期に、その地のユダヤ人あるいはユダヤ教のなかで起きた「一大異変」については、日本人は何も知らない、といわなければならない。日本人がキリスト教を知ってから四百数十年になるが、遣憾ながら日本のキリスト教徒は神父、牧師、神学者、平信徒を問わず、つい最近までバビロン捕囚期の真相を突きとめたものはただの一人もいなかったようだ。しかし、このバビロン捕囚期に起きたことがわからないと、その後のユダヤ教、したがってキリスト教(イスラム教も)のいっさいがっさいが、なに一つわからなくなる。

もしそうだとしたら、これまで四百年の間、日本人のキリスト教徒のすべてはユダヤ・キリスト教の理解の水準において、赤ん坊よりもっと悪い、まるっきりの無知に等しいということにもなりかねない。古代メソポタミアの大地で、人類最古の農耕文明を生み出したのは、日本人と同系のウラル▲アルタイ系のシュメール艮族といわれる。このシュメールの文明は、はるか昔に滅亡した。そのあとに、セム族系のアッカド王国ができ、バビロニア、アッシリアが興亡を繰り返し、カルデア
人によって新パビロニア王国が建てられた。
 

カルデア人の思想(宗教)は、要約すれば、人間は天地万物の支配者、帝王たるべき存在であるということになろうか。パビロニアでユダ北王国の宗教指導者たちは、このカルデアの人間至上の指導をユダヤの選民思想のうちに取り込み、古来のユダヤ民族のエホバ、モーゼ信仰を捨てて、一種独特な、新しい宗教の教義を組み立てた。そして、彼らはこの教義に基づき、パリサイ派(ヘプラィ語で特別に選ぱれた者の意)という一つの秘密結社を設立した。この秘密結社のメンバーは、パビロン捕囚期に数名から出発して、イエス・キリストの在世当時、六千名を数えたといわれる。このパリサイ派が二千年の年月を生き抜いて、今日のユダヤ教の主流として現存しているらしいのだ(このことはユダヤ教の正式の記録中にもしっかりと記されている)。