31 〃水がめ座の時代〃「ニューエイジ」とは何か?

マリリン,ファーガソン女史の著作『ザ・アクエリアン・コンスピラシー』は、欧米(とくに北米)である種のプームを巻き起こしたらしいが、日本語版では、ほとんどこれといったうねりは起きなかったようだ。古代メソポタミア起源の占星学によれば、天空の十二星座(といっても北半球のことだが)は、二千年ごとに一座ずつ回り、二万四千年で一回転する、そして、イエス・キリストの生誕は、魚座の時代とともに始まる。イエスは魚によって象徴されるとした。だから、この二千年はキリストの時代、というのだ。そして間もなく、魚座の時代は終わり、水がめ座(アクェリアン)の時代が開くとする。ニューエイジとは、つまり、水がめ座二千年の「新しい時代」が始まることを意味するらしい。

この説を受け入れたとすれぱ、キリスト教の峙代が終わることを、キリスト教徒は認めなければ
ならなくなる理屈である。しかし、いったい、水がめ座の時代=新しい時代は、何が新しくなるのだろうか。ニューエイジの父は、ある種の超人、神人への人間の進化を説くティエール・ド・シャルダンという、イエズス会の神父だという。ニューエイジの源をたどってゆくと、「イエズス会」に突き当たるわけだ。「イエズス会」は「パチカンの忠実な番犬」であると世間から思われている。だから、「イエスキリストの再臨」は、イエスがほんとうに再臨することではなくて、現代の人間がそのままキリストになること、神性を得ることを意味するなどとニューエイジの思想家から聞かされると、これは奇妙だ、と思わざるをえない。

ニューエイジ派は、「イエスは戻って来ない(イェスの再臨はない)」と断言しているらしいのだ。これは、キリスト教の根幹を、あっさりと捨てること以外のなにものでもない。彼らは、イ工スを厄介払いして、「我々はイエスなしでやっていける」、イエスなしでも地上天国を自らの手でつくれる(それを彼らは「世界新秩序」「世界政府」「世界統一宗教」によって実現するのだという)と説くもののようだ。キリスト教の外に立つ第三者にも、このニューエイジ派の教義(ドクトリン)がイエス以来の
キリスト教会の全否定を狙っている、ということは理解できる。しかしこの考え方は、聖書では悪魔、ルシファーのものとされていたのではなかったか