29「反セミティズム」というペテンを容認するバチカン

第ニバチカン公会議というか、ローマ法王ヨハネスニ十三世とイエズス会総長ベア枢機卿が犯したイエス・キリストに対しての最大の罪は、たぷんユダヤ問題についての決議中、「反セミティズム」という用語を受け入れ、それを無条件の悪として非難したことではなかろうか。反セミティズムという言葉は、いまやユダヤにとって、問答無用で切り捨てるべき悪魔のシンボルとして、世界中に流通させられてしまっている。ここでの反セミティズムは、「反ユダヤ主義」を意味するものだ。ユダヤは聖書に出てくるセム族に属するから、反ユダヤは反セム族である、というのである。

『旧約聖書』の「創世記」には、人類の始祖アダムとエバ(イプ)の子孫にノアが出て、ノアの子にセム、ハム、ヤペテの三人が生まれる。そしてセムの子孫にアプラム(のちアプラハム)が現われ、このアプラムの子孫が今日のアラプ民族(イスラムを信仰する)となり、また、ユダヤ教徒のごく一部(スファラディ・ユダヤ)も、セム=アプラムの子孫とみられる。したがって、今日生育するセム系の人口の、わずか約百分の一以下(と推定される)が、ユダヤ系セムなのである(一九六○年当時、セム系のスファラディ・ユダヤの人口は約六十六万人と推定されていた)。

今日のユダヤ人の九割以上は、セム族ではない。彼らは八世紀ごろに、ユダヤ教に改宗した力スピ海周辺の民族カザールの子孫である。強いて「創世記」に結ぴつければ、彼ら(アシュケナジー・ユダヤ)は、ヤペテ族の流れといわなければならない(したがって、このアシュケナジー・
ユダヤにとってパレスチナの地は故郷でもないし、聖書にある約束の地でもありえない、このことは、確立された歴史的事実であって、パチカンがこれを知らないわけはないのだ。

知っていてなお、このように強弁する(八億人のカトリック教徒と世界中の人々を欺く)としたら、我々はすでにローマ法王庁が、そっくりユダヤに乗っ取られているのかと疑わざるをえないではないか。そもそも、十九世紀後半に「反セミティズム」という用語が「反ユダヤ主義」の代用語として広く流布するようになったこと自体が、ユダヤによる謀賂であり、心理戦争の武器だったのではなかろうか。これについて、アシュケナジー・ユダヤ人のなかから、この詐欺に気づき、勇敢に真実を語る反シオニスト的な人々が出てきている。たとえば作家のアーサーケストラーのように、あるいはリリエンタール、ジヤック・ベルンシユタインなどのようにだ。それなのに、あえてこれを無視しなければならない、いかなる理由がヨハネスニ十三世やベア枢機卿にあったのだろうか。ちなみに、ユダヤ人の国と称されるイスラエルでは、ほんもののセム系、つまりスファラディ・ユダヤ人は貧困層に押し込められ、偽ユダヤ(非セム系)のアシュケナジーが万事につけ上位にあるといわれている。