26 新たな「エキユメニズム」(キリスト教統一主義運動)

第ニパチカン公会議は、「エキュメニズムに関する教令」なるものを採択している。このエキュメニズムという用語を耳にしたことのある日本人は、これもごくわずかな関係者以外、ただの一
人もいないのではなかろうか。もともと、エキュメニカルという〃全キリスト教の〃とか、〃全世界の(ワールドワイド)〃とかいう意味でつかわれている言葉に始まり、ここからエキュメニズムは、多くの派に分裂しているキリスト教徒の一致を回復する運動として称されているものである。

ちょっと聞く限りでは、まことに申し分のない大義名分のようでもある。しかし、ほんとうにそうであろうか。ローマ法王ョハネスニ十三世によって、エキュメニカル運動の責任者に任命されたのは、あのイエズス会総長ペア枢機卿である。つまり、パチカンをユダヤに売り渡した張本人が、一九六○年に「キリスト教徒の統一を促進する委員会」の事務総長に任ぜられているのだ。この「統一」とは、実はすべてのキリスト教徒をひとまとめにして、イエス・キリストの宿敵ユダヤに売り飛ばす大謀略なのかもしれない。

してみると、このようなだいそれたことを企画したョハネスニ十三世のほんとうの姿、正体は何者であったのか、それを疑わないわけにはいかないだろう。ョハネスニ十三世(アンジェロ)は、一八八一年、北イクリアの寒村ソット・イル・モンテ(ぺルガモ市の近郊)の農家に生まれ、十一歳で神学校に進むのだが、十五歳のとき、ペルガモ神学校でイエズス会の影響濃厚な秘密結社に入会している。次いで一九○一年、未来の法王アンジェ

ロは、カトリック聖職者のエリート・コースであるローマのアポリナーレ大学神学校に入学し、一九○四年に司祭に叙任された。アンジェロが生まれてから、一九五八年に七十七歳でローマ法王に選出されるまでに、レオ十三世、ピウス十世(在位一九○三〜一四年)、ベネディクツス十五世、ピウス十一世、ビウス十二世と五人の法王が在位している。つながりからいえば、レオ十三世の前の、第一パチカン公会議を招集したピウス九世をもあげるべきかもしれない。

ともあれ、この約百年に、七人のローマ法王がいるということになるが、ピウス九世とビウス十世は、近代主義(それはまた、ユダヤ主義ともいえるが)を厳しく断罪したことで知られている。そして、このビウス十世を最後として、ローマ法王はユダヤ的な世俗と妥協する道をたどり、アンジェロのヨハネスニ十三世において、世俗への屈伏の遇程が完結したとみてよいのかもしれない。