24 ユダヤに降伏した第ニバチカン公会護

第ニパチカン公会議が可決した「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」には、仏教、イスラム教についてもふれているが、その主たるものは、ユダヤ教についての項目(第四項)である。

そこには、
@キリスト教徒とユダヤ人の共通の霊的遺産の存在、
A今日のユダヤ人にキリストの死の責任を負わせるべきではないこと、
B反ユダヤ主義を教会は排除すること、が述べられている。

この草案について、激烈な討議が行なわれたあげく、ついに一九六五年十月二十八日の総会は、賛成二千二百十一票、反対八十八票で可決したという。ユダヤ教に対するカトリック教会の伝統的態度を根底から引っくり返すこの条項が、これほどの多数(全体の約九○パーセント)で決定されたとは信じがたいものがある。この会議を招集したヨハネスニ十三世(法王に就任する以前の名はアンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリ)は、イスタンプール(コンスタンチノープル)駐在ローマ法王庁使節であったころから、ユダヤ人に対して深い関心をもっていたと伝えられる。

アンジェロがローマ法王の座について間もなく、ジュールーアイザックという、はなはだ間題のユダヤ人(フランス国籍)との全見が準備され、一九六○年六月十三日にそれは実現した。この会児でアイザックは、法王に対して、キリスト教のユダヤ人に対する偏見を是正するよう要望書を提出し、法王はアイザックの申し入れを好意的に受けとめた。

アイザックは、ユダヤの立場から、ヒトラーのホロコースト(ユダヤ人虐殺、六百万人に達したという)に導いたキリスト教会の「反セム主義」を痛烈に論評し、この「反セム主義」のほんとう
の源泉は、旧新約聖書の四つの福音書、そして初期キリスト教会の使徒や神父たちにあると指摘した。かくして、アイザックの著書『イエスとイスラエル』(一九四六年)、『アンチ・セミティズムの源泉』(一九四八年)に同調する勢力が、フランス内外のカトリック教会の内部に浸透し、フランスのユダヤ教大ラビの支援のもとに「ユダヤ教キリスト教徒友好協会」なるものが、アイザックの主導によって設立されたという。

これでみると、第二次世界大戦後間もなく、フランスのカトリック教会が、まず、ユダヤ教にはぼ完全に乗っ取られたようだ。そして、フランスを拠点として、全世界のカトリック教会のユダヤ化の工作が激しく推進され、その謀略がはとんど完了したところで、ョハネニ十三世が第二パチカン公会議を招集する運ぴとなったもののようである。遺憾ながら、第二次大戦後の十数年のうちに、フランスを中心に起きていたこの動きを、日本人はまったく知らされていない。