19 〃パリサイ派ユダヤ〃の理解なしに聖書は理解できない

「ユダヤ」を知ることが、聖書を理解する鍵であるといわれる。イエスは、はっきりと、ユダヤは悪魔教の信者である、悪魔がユダヤ人の父であると述べている(「ョハネによる福音書」)。しかし、イエスはさらに、このユダヤが、実は偽ユダヤ教徒であり、その実質はパリサイ派に乗っ取られていることを見抜いていた。パリサイ派?『新約聖書』に親しんでいる日本人は、その言葉ぐらいはかすかに記憶しているかもしれない。しかし、一般の日本人にはなじみがない。それをとくに意識している日本人は、ほとんどいないのではなかろうか。およそ、パリサイ派など二千年前のユダヤ人社会に生きていたとしても、そんな大昔のかぴが
生えたようなものになんでこだわることがあろうか、という程度の感想をもつのがせいぜいではなかろうか。

これはとんでもない認識不足だ。一九四三年版の『ユニパーサル・ユダヤ百科事典』(れっきとした正統ユダヤ教の編集になる権威ある本だ)のパリサイ派の項には、「今日存在しているユダヤ教は、多くの世紀を一貫して断絶することなく、パリサイ派に発していることを跡づけられる。……『タルムード』は、パリサイ主義最大の、そしてもっとも重要な文献であり、その研究はパリサイ主義の真の理解のために不可欠である」と記されている。つまり、イエスの時代も今日も、ユダヤ教とパリサイ派は、緊密不可分な一体のものであるらしいのだ。そして、イエスと激しく衝突したのは、このパリサイ派であり、ついにパリサイ派がイエスを謀殺した経緯こそ、四福音書の主題であったのだ。

パリサイ派の宗旨は悪魔そのものの宗旨である。それは、反キリストの宗教であり、そしてそれゆえにイエス・キリストを殺害したのだ。パリサイ派ユダヤは、自分たちのみが神に選ばれた民である、とあくまでもいいつのる。ところがじつは、この「神」とは悪魔のことであり、ルシファーのことであったのだ。つまり、彼らは悪魔に選ばれた民であった。そして彼らはそのことを承知している。フリーメーソンは、このパリサイ派ユダヤが、キリスト教会を破壊して、それを悪魔の教会に
変質させる謀略機関として創設したものらしいのだ。