12「フリーメーソンは悪魔の会堂である」

ピウス十一世(前述)は、「フリーメーソンは〃悪魔の会堂〃である」と定義し、戦争と革命を画策するもの、と評した。また、ビウス七世(在位一八○○〜二三年)は、一八二一年にフリーメーソンを批判する文書を公布し、フリーメーソンを「社会の癌、死に至る病原体である」としている。ほか、レオ十三世(前述)は、フリーメーソンを「悪魔の活動」と呼ぴ、教会と国家と公共の福祉の破壊を企図していると告発した。そして「すべてのカトリック僧侶と信徒が、容赦することなくフリーメーソンの根絶のために立ち上がる」よう呼ぴかけてもいる。我々日本民族には、カトリックとフリーメーソンの、このただならぬ敵対、憎悪、相互絶滅的な、互いに相手を根絶やさないではやまないという関係が、ほとんどまったく知られていなかった。

その代わりに、明治新政府の文明開化教育のおかげで、すべての日本国民は「啓蒙主義」「啓蒙思想」の洗礼を受けている(「啓蒙」という言葉は、日本語として定着しているといってもよいだろう)。しかし、いったい、この「啓蒙」(無知蒙昧の蒙を啓く)という翻訳語の原語はなんだろう。それは、イルミネート(光で照らすの意)であり、カトリック教会に専制的に支配されていた中世の暗黒を、人問理性の光で明るくする、そして、カトリックを排除する十八世紀西欧の一大運動にほかならないのだ。そして実は、この啓蒙主義の推進母体が、フリーメーソンであったらしいのだ。したがって、明治以後の近・現代日本人は、知らぬ間にフリーメーソンの影響を受けていた、ということになる。もっといえば、現代日本は、厳しく敬虔なカトリック時代のョーロッパを知ることなく、フリーメーソン化された(啓豪=イルミネートされた)ヨーロッパのみを受け入れた、ということになるかもしれない。

したがって、いく人ものローマ法王が「フリーメーソン(自由・平等・博愛を掲げる)は悪魔の会堂(シナゴーグとはユダヤ教の教会を意味する)である」と糾弾したと聞いても、「なにもそこまでカタイことをいわなくても……」という程度に聞き流してしまうのが普通だろう。

つまり、我々日本人には、バチカンとフリーメーソンの三百年近く続いているこの敵対対立関係が、今日に至るまでなかなか現実的な緊迫感をもって受け取れないのである。