これほど異質なニつの観念を、「神」という
一つの言葉で表記することは、ほんとうはしてはならないことであろう。日本民族の世界観では、我々人間と神々は、いわば血のつながった家族である。しかし、ユダヤ教では、神(たった一つ、単数)と人間は絶対的に隔絶させられていて、血のつながりなどは、とんでもないことだ。わかりやすく日本の神々とユダヤ教の神を比したが、キリスト教においても同様のことがいえる。
したがって、イエズス会士であるはずのシャルダンが、人間と神の融合などと口走るのは、キリスト教の文脈では、神に対する明らかな冒涜になるはずである。にもかかわらず、欧米に大流行している、いわゆるニューエイジ思想は、シャルダンを元祖とみなしており、そして最近では、キリスト教会のなかに蔓延しているらしい。「我々は小さな神々(Gods)である」というわけだ。聖書を知る人なら、ただちに、この考え方が、悪魔の誘惑であることに気づくだろう。『新約聖青』では、終末のときに、人々を悪魔の道へ誘い込む反キリストが現われることになっている。ニューエイジ運動こそ、イエズス会が仕掛けた、キリスト教の最終的絶滅ないし変質を目的とした、ルシファー(悪魔の総大将)を崇拝する反キリストであるのかもしれない。