11 ニューエイジ運動の背後にイエズス会があった

「ニューエイジ運動」は、マリリンCファーガスン女史の『ザ・アクエリアン・コンスピラシー(水がめ座の謀賂)』一九八○年、日本語訳では『アクエリアン革命』と変えられている)というベストセラーによって知られている。西洋占星学では、間もなく、魚座から水がめ座(アクェリアン)に時代が移るとされている。そして、イエスは魚で象徴されるとして、イエスの時代は去り、新しい時代が始まると唱え、その新しい時代を切り開く運動、それをファーガスンはコンスピラシー(謀略)とわざわざ名づけたわけだ。このニューエイジを担う人々として、ユングとかアプラハム・マズローとか、クリシュナムルティとかその他多くの名があげられるのだが、このニューエイジ運動の源流をたどってゆくと、それが、またもや、イエズス会にたどりつくというのだ。すなわち、イエズス会士ティエール・ド・シャルダンである。シャルダンは、人類が進化の果てに究極点、人問と神が融合する点に到達するという。だが、「神」といっても我々日本民族の神典(『古事記』など)に表現されている神概念と、ユダヤ教起源の神とは、無限に遠くへだたっている。

これほど異質なニつの観念を、「神」という
一つの言葉で表記することは、ほんとうはしてはならないことであろう。日本民族の世界観では、我々人間と神々は、いわば血のつながった家族である。しかし、ユダヤ教では、神(たった一つ、単数)と人間は絶対的に隔絶させられていて、血のつながりなどは、とんでもないことだ。わかりやすく日本の神々とユダヤ教の神を比したが、キリスト教においても同様のことがいえる。

したがって、イエズス会士であるはずのシャルダンが、人間と神の融合などと口走るのは、キリスト教の文脈では、神に対する明らかな冒涜になるはずである。にもかかわらず、欧米に大流行している、いわゆるニューエイジ思想は、シャルダンを元祖とみなしており、そして最近では、キリスト教会のなかに蔓延しているらしい。「我々は小さな神々(Gods)である」というわけだ。聖書を知る人なら、ただちに、この考え方が、悪魔の誘惑であることに気づくだろう。『新約聖青』では、終末のときに、人々を悪魔の道へ誘い込む反キリストが現われることになっている。ニューエイジ運動こそ、イエズス会が仕掛けた、キリスト教の最終的絶滅ないし変質を目的とした、ルシファー(悪魔の総大将)を崇拝する反キリストであるのかもしれない。