8イエズス会の底にあるユダヤの『タルムード』

十三世紀以降、バチカンの腐敗、退廃が進んだ。自壊、
ひと言でいえば世俗化の坂道を転げ落
ちるとともに、外からはプロテスクントの猛襲を受けることになった。このいまにも壊滅しそうなバチカンを建て直したのが、イエズス会という「奇蹟の軍隊」だというふうに世にみられている。パチカンの自壊は、たとえば、詩人のダンテが十四世紀初めにローマで見たものは、悪徳と腐敗の巣窟としてのバチカンであった。彼の『神曲』には、ポニファキウス八世(在位一二九四〜一三○三年)、ニコラウス三世(一二七七〜八○年)、クレメンス五世(同一三○五〜一四年)の三人の法王を地獄界のずっと下のほうに置いた。他方、『カトリック・エンサイクロペディア』は、ボニファキウス八世は前法王の殺害を含む、考えうるかぎりの罪を犯した、と記述する。ほか、インノケンチウス八世(前述)は複数の女性との間に、十六人の子供の父親となった。そのうちのいく人かは、バチカンで結婚式をあげている。このあとには、あの毒殺で有名なポルジアが、枢機卿たちを金で買収して法王(アレクサンデル六世、前述)となった。これではもう、聖なる権威、ローマ法王庁の命脈は尽きかけていると、誰の目にも映ったことであろう。だが、このありさまさえもが、ユダヤの仕掛けた謀略の結果であったと仮定することはできないだろうか。

バチカンを金と女、賛沢で瓦解させる布石を敷いておいて、法王庁建て直しのためのプログラムをもって、イエズス会をパチカンの奥深くに据えつける。その名称はイエス・キリストからのものであっても、実はこのイエズス会の底には、キリスト教根絶を宿願としているユダヤの教典『タルムード』と『カバラ』があったのではなかろうか。

かつてインノケンチウス四世法王(在位一二四三−五四年)は、一二四四年に『タルムード』や『カパラ』の焼却を命じている。そして、繰り返し、いく人ものローマ法王が同じことを命じてきた。この禁制の『タルムード』を奉ずる修道会を、パチカンのど真ん中に堂々と仕掛けてしまう。これは信じがたい離れ業だが、すでにバチカンが悪徳の百貨店のようなものに成り下がり、スキャンダルまみれの法王や枢機卿、大司教たちが、ユダヤによって弱みを握られていたとすれば、はたしてどうか。そして、自他のマインド・コントロールを可能にするイグナティウス・ド・ロョラの「エクササイズ」、つまり、オカルティック・テクノロジーは、『タルムード』や『カバラ』の部分的応用篇ではなかったのか。平信徒、異教徒を「獣」にたとえるイエズス会の(秘密の)教義、これはイエスからのものではなく、『タルムード』由来のものでなくてなんであろう。