実に、パチカンの位階制で最高位の人々のうち、ユダヤについての伝統的立場を守る者は、わずか六パーセント前後になってしまっていたのだ。しかも、この反対の九十九票は、ほとんどがアジアなどイスラム圏や、ギリシア正教圏などにあるカトリック教会の指導者たちと伝えられる。したがって、ョーロッパやアメリカなどのキリスト教圏にあるカトリック教会の司教たちは、一○○パーセント近く親ユダヤ派で占められていたことになる。高位の聖職者は、神学校を出て、司祭に叙任され、二十年から三十年という年数を経ているのだから、このようなカトリックの教義の中核を変える動きは、一朝一夕にできるものではない。少なくとも五十年や六十年の準備期間を経て、この結果となったに違いない。
その準備をしたのは誰だろうか?それが、イエズス会であったらしいのだ。ジュール,アイザック教授の説を容れ、第ニバチカン公会議を親ユダヤ的な流れにもってゆく(つまり、福音書に代表されるイエスの教えや、それによる千五百年余のカトリックの中心教義から離脱していく)うえで、イエズス会総長であるベア枢機卿が中心的な役割を果たしたといわれているのだ。
そういえば、第一次世界大戦後、
一九二○年代に、パチカンの宿敵フリーメーソンと、ロ―マ
法王庁を代表してイエズス会が会談し、和解と相互非難の停止を取り決めたことが想起される。フリーメーソンは、かねてからバチカン、さらにはキリスト教会そのものの絶滅を呼号していたのではなかったか。これに対して、イエズス会は逆に、ローマ法王の至上・至聖性を守る法王の軍隊として創設されたのではなかったか。結局、イエズス会は、トロイの木馬などというたとえではとてもいい表わせないほどに、大胆不敵に、ユダヤがバチカンの中枢に送り込んだ別動隊であったのではなかろうか。
そして、設立以来四百年余で、イエズス会はいよいよ、その正体を世間に現わす段階に達したのではなかろうか。この仮説をたてると、不可思議なさまざまな現象が逆に、我々に事態をよく説明し、埋解できるものとなってくるようなのだ。しかし、もしそうだとしたら、これは実に恐ろしい執念をもった団体であるといわなければならない。