5.「告白聴聞」が武器の〃イエズス会秘密指令書〃

イエズス会士は、同会中の第四階級に昇進して、初めてさきの「秘密指令書」を知らされるという。

この指令書によると、イエズス会士は、カトリック教国の王侯貴族など上層階級、なかでもその女性たち、とくに金持ちの未亡人の心理をコントロールしなければならず、そのために、告白聴聞を利用しなければならない、と教えられる。心理コントロールとは、つまり、精神的に依存させてしまうことだろう。告白や懺悔を受けもつイエズス会士の助けなしにはいられないようにしてしまうのだ。さらには、国家の政治もなにもかもうまくいかない、というぐあいに思い込ませてしまうわけだ。

そして、イエズス会士は、カトリック教国の支配層の人々が行なう告白から、一人ひとりの秘密を細大もらさず収集して、その情報を逐一、ローマの総本部に報告するのだ。こうしてイエズス会総長は、バチカンにいながらにして、世界中の国家の機密を手に入れる。しかし、いったい、この情報をイエズス会はいかなる目的のもとに必要とし、また使用しているのだろうか?イエズス会士が富裕な未亡人の懺悔聴聞僧となり、いかにして彼女のすべてをイエズス会に捧げる心理に導くかについても、秘密指令書は徴細に教えている。イエズス会は、彼ら自身の独特の道徳律をもっているようだ。すなわち、「目的は手段を正当化する」というものだ。

イエズス会の利益をはかるという最高の目的のために使われるなら、いかなる手段も方法も、神聖なるものとして正当化しうる、というのである。こうみてくると、我々のイエズス会に対する、そしてこのようなイエズス会に全権を与えたローマ法王に対する不審の念は、ますますつのらざるをえない。たしかに、史書をひもとけば、いわゆるルネサンスのころから、ローマ法王(そしてバチカンそのもの)の道徳的堕落と退廃があったことは、つとに報じられている。

たとえば、イエズス会を公認したパウルス三世は、枢機卿だった時代に二人の息子と一人の娘をもうけたという(当然ながらカトリックの僧侶は独身が建て前である)。そしてパウルス三世は、まだ十代にすぎない自分の二人の甥を枢機卿に任命した、と伝えられている。当時のカトリック教会に対する我々の疑問は強まるばかりだが、この解答は果たして見出されるのだろうか。