2 バチカンに潜む〃妖怪〃イエズス会

日本人の意識するバチカン=カトリックの活動は、戦国期に現われて布教したフランシスコ・ザビユル(一五○六〜五二年)と、その会派「イエズス会」の足跡に始まるものであろう。ところが、このイエズス会はヨーロッパ各国(キリスト教圏)においては、「悪名」をもって天下にとどろいているらしい。「法王の犬」(犬のように盲目的に忠実の意)とも通称されているのだ。イエズス会は、カトリックのもついくつかの修道会の一つであり、修道士を志してここに入会した者は「イエズス会士」と呼ばれる。彼らは殉教を誇りとし、カトリックの教えを広めるために単身、世界のいかなる未開野蛮の地にも、敵地にも、乗り込む。あたかも、よく訓練された兵士のようである。こうした組織は、日本には、いやアジアには存在しない。

したがって、我々ふつうの日本人には(おそらくは日本人キリスト教徒においても)バチカンについて、しごくあいまいなイメージし
かもちえないし、イエズス会についても、断片的な些々たる情報以上のものを受け入れることができない。

ものの本には、イエズス会の創立者はイグナティウス,ド・ロョラ(一四九二〜一五五六年)であり、ロヨラはカトリック、つまりパチカン(ローマの旧教)のプロテスタント(新教の宗教改革)に対する回答(あるいは反撃)としてイエズス会という新会派を設けたと記されている。〃現象〃としてはそのとおりなのだ。ロヨラは、マルチン・ルーテル(ルター、一四八三〜一五四六年)やカルヴィンの同時代の人である。一五一七年、ルーテルがローマ法王庁に挑戦状を発して宗教改革なるものが始まり、キリスト教会の大分裂が起きた。このプロテスクント改革運動に対するバチカンの対応の一つ(おそらくはもっとも重要なものであったろう)が、ロヨラによるイエズス会の創設(一五四○年)と、そのパチカンの公認だったのである。

ところでイエズス会の『カテキズム』(教理問答集)によれば、「法王は諸国の王よりも上位にあるか?」との問いに、「太腸が月よりも大きいのと同じくらい、法王は諸王の上にある」「人間が獣よりも優れているのと同じくらい、平僧は王よりも優れている」「俗人
平信徒は、鳥やロバと同じである。異教徒は野生の獣と同じである」と答えたことが記されている。

なにかこのような表現は、我々に非常な違和感や異物感を与えないだろうか?だいいち、これは、我々の理解しうるイエスの教え(福音書の教え)ともひどく異質ではないだろうか?さらに、イエズス会には「秘密指令書」なるものが存在するともいわれている(これは一六一二年にイエズス会を脱会した修道士によって公表された、と伝えられるものだ)。どうも、イエズス会はなにやら、この四百年来パチカンに潜む不気味な妖怪のようだ。このイエズス会の存在に迫ってみよう。