してみると、キリスト教がアメリカ合衆国建国の精神的土台とされている表向き
の説明とは、まるで食い違ってくる。ローマ法王インノケンチウス三世(在位一一九八〜一二一六年)のユダヤの危倹性を警告した文書をはじめ、ローマ法王庁は幾多のユダヤ排撃文書(あるいは『タルムード』の焼却処分など)を公表してきた。したがって、ある時点までは、キリスト教とユダヤ教の間に、画然と敵対的な、そして緊張した一線が引かれていたことは疑いえない。そして、この境界線が崩れ始めたのは、西洋史でいう近世(それはいわゆるルネサンスを起点とする)のことらしい。初期ルネサンスから現在までの約六百年の間に、ユダヤ教(反キリスト)の軍がキリスト教会の堅塁
を突き破り、一塁、また一塁と奪い取り、ついにいまでは、キリスト教の本丸(ローマ法王庁=パチカン)に迫っているというような状況なのではなかろうか。
「西洋文明の核心はユダヤ=キリスト教精神である」などと、いまや堂々といわれているのだから。要するに、ルネサンスなるものに秘密が隠されているらしい。ルネッサンス(そのセールスポイントは人文主義とヒューマニズムであり、中世の暗黒からの人間の解放である)は、実は「キリスト教国の内部に食い込んだユダヤが、イスラム圏のユダヤ同族と地下で連絡して、キリスト教会の権威を失墜させるためにたくらんだ謀格」とみることはできないか。ユダヤがキリスト教会を突き崩す武器は、「贅沢」である。中世まで、キリスト教の眼目は「清貧」であったからである。