<<艱難時代とは何か?>>

ーそれは、惑わされたクリスチャンが正しいクリスチャンを迫害する日のことである。

艱難時代とは?

<終末の日の艱難時代の到来は聖書の中で明確に預言されている>

 

聖書の中では、終末の日の艱難時代に関しては、繰り返し、繰り返し、預言されている。キリストご自身もかつてなく、今後もない艱難として、その日を預言、警告している。

 

マタイ24:21その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。

 

<間違った終末教理を語る偽預言者、偽教師に気をつける>

キリストは世の終わりには多くの偽キリスト、偽預言者が出現することを語る。

以下のとおりである。

 

マタイ24:24にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。

この日、にせキリストや、にせ預言者が現れ、人々を惑わそうとする、ことが描かれている。旧約の預言者は、ペテロの手紙によれば、新約の教師に相当する。にせ教師、すなわち、まちがえた教理を語る教師たちが現れることが予想できる。

このことはまさに現実であり、真面目な顔をして終末に関連して艱難前説、第3神殿の教理、ゴグ、マゴグ=ロシア説をはじめ、誤った教理を語る教師が多い時代となっている。彼らは間違え、誤った教師たち、すなわち偽預言者である。

偽預言者、教師に気をつける

 

<盲人を導く盲人>

 

終末のこと、艱難時代のことを調べるとき、大事なことは、

盲人教師に聞き従うべきでない、ということである。そうでないと、以下の主のことばどおり、2人とも穴に落ち込むことになる。

マタイ15:14彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。

 

私の理解では、獣の国はローマだとか、ダニエルの1週の契約は7年の中東平和条約だ、などと語っている人々は、盲人の類であり何も見えていないように思える。クリスチャンがそれぞれ、自分にとって、耳触りの良いことばを語る教師をとっかえひっかえ、選ぶのは勝手だが、盲人教師に従うなら、いずれ自分も穴に、ゲヘナの穴に落ち込む危険があることは知るべきである。

盲人教師に従うべきではない

 

<誰が艱難に会うのか>

その日、艱難の日、いったい誰が艱難に会うのか、ということは、我々が前もって知るべきことと思われる。我々は深く考えもせず、その日、全てのクリスチャンが艱難に会うと理解しているが、どうも聖書はそうは語っていないからである。

以下を見たい。

黙示録1:9あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。

ここで、黙示録を書いた弟子のヨハネが「神の言とイエスのあかしとのゆえに」パトモスという島に流され、苦難にあっていることが描かれている。

そしてそのヨハネによって黙示録、終末の艱難を語る書は書かれたのである。

このことに示唆、語りかけはないだろうか?ここで、語られているのは、

全てのクリスチャンが必ずしも終わりの日の艱難に会うわけでなく主の弟子としてあゆむクリスチャン、また「神の言とイエスのあかしとのゆえに」苦難に会う、クリスチャンこそが艱難時代に遭遇する、という示唆である。逆に主の弟子としては歩まず、神の言とイエスのあかしとのゆえに苦しむことも望まないクリスチャンは必ずしもその日、艱難に会うとは限らない。しかし、そのような人々は逆に速やかに反キリストを拝む可能性がありそうである。

 

ヨハネ16:1わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。 16:2人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。

 

ここは、いわゆる最後の晩餐の記述である。ここで主は艱難、苦難の時代が来ることを語っているが、その対象は弟子たちである、すべての群衆、すべてのクリスチャンに対して、艱難が来るとは語っていない。

 

マタイ24:3またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。

 

ここは有名なマタイ24章の終末預言の箇所であり、艱難時代を説明している箇所である。そしてこのイエスのことばのすべて、弟子たちにひそかに語られたものであり、群衆に公に語られたものではない。

このことに語りかけ、示唆がないだろうか?このことがあらわすことそれは

終末の艱難とは弟子にこそ関係するが、群衆の歩みをし、勝手なクリスチャン生活を送っている人々には無関係と考えられる。

そのようなわけで、今自分勝手なクリスチャン生活を送り、人を呪ったり、ののしったり、非難したり、やりたい放題のクリスチャン生活を送って、みことばなどてこでも実行しない人々にとり、艱難時代への不安やら、思い煩いは不要、杞憂といえる。そのような人々が艱難にあう可能性は大変低いからである。彼らは確かに艱難に会う可能性は低いが、しかし、その時代を経て永遠の命を得る可能性も限りなく限りなく低い。

その日、誰が艱難に会うのか?

 

<獣の国の強権>

艱難時代とは特殊な時代であり、今までの常識が通用しなくなる時代である。

今の時代では、個人の宗教の権利は保たれており、クリスチャンがキリストを神とし、

この方を拝んだとして、誰も文句を言わない、時代ではある。少なくとも日本においては。しかし、艱難時代にはその常識が通用せず、キリストが「私の名のゆえに全ての人から憎まれる」といわれたように、異常な時代が来る。

その前提として、獣の国の強権、一国支配、全世界、全人類の支配、ということがまず起きてくる。

たとえば、今の共産主義国中国に置いてはその強権の下で、キリスト教会の取り壊しや解散などが行われている。このような横暴は民主的な国で行うことはできないが、異常な強権の国においては行えてしまう。

同じ意味合いで、これから、全世界はダニエル書や黙示録で獣といわれる一国の支配の下に入りその下で、反キリスト的な政策や教会の崩壊が行われるようになる。

 

以下の様に書かれている。

ダニエル7:25彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、

かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。

彼はまた時と律法とを変えようと望む。

聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、

彼の手にわたされる。

この獣の国の支配の下で聖徒が3年半の間、苦難に会うことが描かれている。

 

ダニエル:10天の衆群に及ぶまでに大きくなり、星の衆群のうちの数個を地に投げ下して、これを踏みつけ、 8:11またみずから高ぶって、その衆群の主に敵し、その常供の燔祭を取り除き、かつその聖所を倒した。 8:12そしてその衆群は、罪によって、常供の燔祭と共に、これにわたされた。その角はまた真理を地に投げうち、ほしいままにふるまって、みずから栄えた。 8:13それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、「常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか」と。 8:14彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。

 

ここでは、たとえを用いて「星の衆群のうちの数個を地に投げ下して」としてこの獣の国の強権の下で天的な教会が地的なもの、この世的なもの変えられてしまうことが描かれている。 また、「聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられる」として、神の聖所である教会やクリスチャンが獣の国の支配の下で踏みつけられることが描かれている。

 

ダニエル11:32彼は契約を破る者どもを、巧言をもってそそのかし、そむかせるが、自分の神を知る民は、堅く立って事を行います。

 

ここでは、獣の支配の下で、神との契約を守る者たちを,そそのかし、背かせることが描かれている。

 

黙示録13:11わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。 13:12そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。

 

ここでは、獣の国の支配の下で、教会が獣化し、獣を拝むようになることが描かれている。

 

 黙示録13:13また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。 13:14さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。

 

ここでは、獣の国の強権の下で教会が自ら獣の像すなわち、反キリストを擁立することが描かれている。

獣の国の強権の下で艱難時代は到来する

 

<教会は変質し、背教する>

艱難時代に関連して重要なポイントは、その日、教会は変質し、背教する、ということである。

以下のように明確に教会の背教は預言されている。

 

2テサロニケ 2:3だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。 2:4彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。

 

ここでは、教会が背教し、その結果、不法の者、滅びの子と呼ばれる反キリストを呼び込み、受け入れるようになることが書かれている。彼は神の宮である教会の真ん中に座し、自分こそ神である、と宣言する、そうなると必然的に真の神であるキリストは教会から追い出されることになる。恐るべき冒涜、背教の日が預言されているのである。

 

その背教の教会は黙示録では以下の様に描かれている。

黙示録13:11わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。

 

ここに書かれているのは、背教し、獣化した教会の姿である。

子羊とはキリストであり、教会にはキリストの教会の様な形はあるが、実質は獣となる。

 

ダニエル11:41彼はまた麗しい国にはいります。また彼によって、多くの者が滅ぼされます。しかし、エドム、モアブ、アンモンびとらのうちのおもな者は、彼の手から救われましょう。

 

ここでは、獣の意を受けた北の王により、多くのものが滅ぼされる、多くのクリスチャンが滅ぼされることが描かれている。

教会の背教が起きる

 

<我々は背教の教会から出ることが勧められている>

聖書は多くの表現をもって、その背教の教会から出ることを勧めている。

 

マタイ24:15預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、 24:16そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。 24:17屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。 24:18畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。

 

ここでは、たとえを用いて、その背教の日には、その背教の教会から出ること、戻らないことが語られている。

「預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)」

 

聖なる場所とは教会の神の座、キリストの座である。その日、背教の教会が、

荒らす憎むべきもの、すなわち反キリストをそのキリストの座に迎えたときは、我々がその教会を出ていくべきときだ、と語られているのである。

「そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ」

かつてのソドムゴモラの滅びの日にロトたちが山へ逃げて命を救ったように、我々も背教の教会を出て命を救うことが語られている。

 

24:17屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。 24:18畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。

 

家は教会のたとえであり、その背教の教会に戻らないことが勧められている。

 

<背教の教会、クリスチャンによる正しいクリスチャンへの迫害がある>

終末に関する御国の奥義、隠されたことがらは、世の終わりの日に正しいクリスチャンは、

背教のクリスチャンにより、迫害される、ということである。

聖書は以下の様に語る。

 

マタイ24:6また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。 24:7民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。 24:8しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。 24:9そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。 24:10そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。

 

ここでは、正しいクリスチャンがキリストの名のゆえに、全ての人から憎まれること、

さらに多くのクリスチャンがつまずき、また裏切るクリスチャン、正しいクリスチャンを憎む背教クリスチャンも出てくることが書かれている。

 

マルコ13:12また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。 13:13また、あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

 

ここでは、兄弟が兄弟を死に渡すことが書かれている。これは、

たとえであり、教会の兄弟姉妹が裏切り、別の兄弟姉妹を訴え、罪に定め、死刑に訴える日がくることをさすと理解できる。父子もたとえであり、信仰の父である牧師が子である信徒を訴えて、死に渡すような日が来ることが預言されている。

ルカ21:12しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。 21:13それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。 21:14だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。 21:15あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。 21:16しかし、あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。また、あなたがたの中で殺されるものもあろう。 21:17また、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。 21:18しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。 21:19あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう。

 

ここでも「あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。」としてその日、正しいクリスチャンが裏切られ、密告され、訴えられることが描かれている。

両親、兄弟はたとえとして、信仰の両親、兄弟姉妹と理解できる。我々はその

日、背教したクリスチャンの兄弟姉妹に訴えられ、密告されるのである。

 

黙示録16:13また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。 16:14これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。 16:15(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。) 16:16三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。

ここでは、キリスト教会の王たち、すなわち、各教団のリーダーたちが背教し、惑わしの霊に惑わされ、神に戦いを挑み、正しいクリスチャンを迫害するべく、召集されることが描かれている。正しいクリスチャンへの迫害は背教の教会、クリスチャンを通してなされることが理解できる。

世の終わりに正しいクリスチャンは、背教の教会、クリスチャンにより迫害される、といえば、とっぴょうしもない教理のように思えるかもしれない。しかし、聖書的な考えではある。たとえば、キリストの初降臨の日、誰がキリストを迫害したのだろうか?

それは、ピラト、異邦人というより、神の民であり、聖書を読んでいるはずのパリサイ人、祭司、律法学者たちだった。キリストの3年半の公生涯は彼らとの戦いであり、訴えられ、攻撃される日々だった。同じく終末の3年半の艱難時代の迫害の主役も神の民であり、惑わされた背教の教会クリスチャンであることは大いにあり得る。

正しいクリスチャンへの迫害がある

 

<キリストの再臨>

これらの艱難時代の真っただ中にキリストの再臨がある。これにより、忠実な、正しいクリスチャンは救われる。

艱難時代はいつ終わり、キリストの再臨はいつあるのだろうか?

再臨の日を確定するのは異端、ということらしいので、確定はしないまでも、

おおむねの概要、予想はしていきたい。なぜなら、艱難時代を経過するものにとって、唯一の希望はキリストの再臨であり、再臨の日だからである。

ダニエル書にはこう書かれている。

ダニエル8:13それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、「常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか」と。 8:14彼は言った、「二千三百(2400:70人訳)の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。

ここでは、反キリストの横暴、冒涜はいつまでか、との問いが発せられている。そしてその答えとして、2400の夕と朝との答えが語られている。それは、すなわち、1200日ほどの日数であり、3年半に近い期間である。

 

ダニエル9:27彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。

 

ここでも艱難時代は7年、大艱難時代は半週、すなわち3年半であることが語られている。

そしてその3年半の後、荒らすものの終わりが来ることが語られている。どのようにして、

荒らすものの終わりは来るのか?テサロニケの書簡ではこう書かれている。

 

2テサロニケ2:8その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。

すなわち、キリストの来臨、再臨の時、不法の者,荒らす憎むべきもの、反キリストは滅ぼされる、すなわち、3年半の艱難時代の後、キリストの再臨があると理解するのは妥当である。

 

ダニエル書12:11常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。 12:12待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。

ここでも、「荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている」として、

艱難時代の時が定められている。それは、1290日、約3年半である。

「待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。 」として、特定の日が語られている。この日に何が起きるのか?普通に考えれば、キリストの再臨がある日と理解できる。

このように、聖書は愚かな艱難前説者の妄想と異なり、しごくまっとうな結論、

正しいクリスチャンは3年半の艱難時代を経過すること、しかし、艱難時代は永遠に続くわけでなく、有限であり、3年半と決まっており、その後、キリストの奇跡的な介入がある、という妥当で、まっとうな結論を語っていることを理解するべきである。

3年半の艱難時代のあと、再臨がある

 

 

 

<全てのクリスチャンが再臨の日、祝福されるわけではない>

キリストの再臨の日は全てのクリスチャンにとり祝福の日となるとは限らないことは知るべきである。

 

以下の様に書かれている。

マタイ」24:30そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

ここでは、キリストの再臨を悲しみながら見つめる人々がいる。彼らはクリスチャンであり、

「地のすべての民族」と書かれているように、地につき、この世につく人々である。彼らにとってキリストの再臨は災いとなる。

 

黙示録1:7見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

 

ここでも地上の諸族がキリストの再臨の日に嘆くことが描かれている。

地に着き、世につき、正しいクリスチャンを迫害するような背教のクリスチャンにとり、その日は災いとなる。

 

さらにまた、正しいクリスチャンを迫害する背教のクリスチャンがその再臨の日に、

厳しく罰せられることが描かれている。

 

2テサロニケ1:6すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。 1:7それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。 1:8その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、 1:9そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。

 

キリストの再臨の日、正しいクリスチャンを迫害していた、背教クリスチャンが裁かれることがここでは描かれている。

 

全ての人にとって、再臨が祝福になるわけではない

 

<背教クリスチャンが惑わされるように神から惑わしの霊が送られている>

 

何故艱難前説を始めとした荒唐無稽なインチキ教理を信じるクリスチャンが多いのか?

その理由としてテサロニケ書は、神から惑わしの霊が送られることを語る。

2テサロニケ2:10また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。 2:11そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、 2:12こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。

 

ここでは、真理を受け入れず、逆に不義、偽りの教理を喜んでいた人々が滅びるために神が

惑わしの霊を送ることが描かれている。

そのようなわけで、艱難前説を始めとした不義、偽りの教理が本物に思えてしまう人々はすでにこの惑わしの霊にやられているのかもしれない。しかし、いかに耳触りの良い話で今は楽しくても彼らの未来は明るくない。彼らの行く末は滅びであることがここには書かれている。

 

<艱難時代は近いのか?>

 

このように艱難時代のことは詳しく聖書に預言されている。その

日は現代のわれわれにとって遠い未来か、それともその日は近いのだろうか?

個人的な意見を述べるなら、その日は近いと思われる。そう思う理由は、

艱難時代のカギを握る獣の国アメリカがもうそろそろ、獣の国の本領を発揮しそうな気配があるからである。

 

アメリカはすでに全世界を支配するには十分な軍事力を持っており、

対抗できる国など世界には一つもない。

また、国内には正しいクリスチャンを収容するための強制収容所が

何百と用意されている。

クリスチャンを迫害する日のための大量の棺桶もギロチンも用意されている。

また同性婚の合法(反対するクリスチャンは違法として逮捕、投獄)化など、

クリスチャンを逮捕するための法律が準備されつつある。

 

このことはアメリカ一国の状況ではなく、

アメリカが世界を支配するようになれば、全世界でクリスチャンへの

迫害が起きる可能性がある。その日は決して遠くないと思われる。

艱難時代は近いのか?

以上

 

終末預言解釈エレミヤの部屋

 

レムナントキリスト教会