ユダヤ人マルクスによる

共産主義は宗教、キリスト教を批判、攻撃する。


共産主義は、巧妙にまた民衆を扇動、高揚させ、「人民の敵」「プロレタリアートの敵」として、
人々にキリスト教、またクリスチャンを攻撃させる。それは、扇動、訴訟をお手のものする
キリストの敵、
ユダヤによる巧妙な蛇の理論。
以下は、廣岡正久教授による、著書『ソヴィエト政治と宗教−呪縛された社会主義』(P.43)
におけるマルクス、共産主義によるキリスト教攻撃の論ぽう。

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 廣岡正久教授は、著書『ソヴィエト政治と宗教−呪縛された社会主義』(P.43)において、要約する
と、このテーマを次のように3点に規定しています。マルクスが宗教に浴びせる批判は、もっぱら宗教の社会
的側面、すなわち宗教の社会的起源と社会的役割を暴露することに集中しています。
 第一に、宗教とは、なによりもまず道徳と芸術、哲学などといった他のすべての社会意識形態と同様、経済
的「土台」にたいする「上部構造」、すなわち、生産過程に対応する一定の社会関係の反映にほかならない。
したがって宗教は自立性を有するものではなく、前社会主義的な社会発展段階にあっては階級搾取を本質と
する社会関係の幻想的表現にすぎない。
 
 

 第二、宗教の社会的、イデオロギー的機能です。それが資本主義社会の内部矛盾を隠蔽するばかりか、さら
にはその社会・経済体制を擁護し、正当化する役割を果たす。宗教は、被搾取者にたいして搾取の現実から目
をそらせ、その苦しみを忘れさせる麻薬として作用する。
 
 

 第三、階級社会のもとで真の現実性をもたない人間の幻想的表現である宗教は、真の人間解放をめざすプロ
レタリアートの革命闘争の結果として、早晩、枯死するに至る。なぜなら、人間の「現実的な生活過程」の
変革は、不可避的に、「この生活過程のイデオロギー的反射と反響」をも変化させずにはおかないからです。
資本主義的な社会・経済関係の崩壊は、その幻想的、イデオロギー的表現である宗教をも崩壊へと導くからで
す。イデオロギー的上部構造である宗教は、経済的土台の変革にともなって、自然死を遂げる。
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