大いなる失敗

 

                                 膨大な共産主義の犠牲者の数

 

 
 

                                      ブレジンスキー
 
 

  (注)、これは、『大いなる失敗―20世紀における共産主義の誕生と失敗』(伊藤憲一訳、飛鳥新社、1989)
の第22章「歴史上の記録」のうちの“共産主義の犠牲者の数”(P.315〜319)記述部分だけの抜粋です。全体で
366ページあり、下記著者経歴からくる批判的評価もあります。私も内容上でいくつか批判を持って
います。しかし、このデータ部分は、塩川伸明教授『スターリニズムの犠牲の規模』と比較しても、数値
的妥当性をもち、かつ、東欧、中国、ベトナム、北朝鮮を含めた14の一党独裁国における犠牲者数
総合的データとして一考する価値のあるものです。塩川教授データはソ連一国のものであり、他にこのよう
な14カ国の集計はあまり発表されていません。冷戦構造における一方のアメリカ政権側データとして読み
取ればいいでしょう。
 
 

  (著者紹介・訳者あとがき) 単なる学者でも、単なる実務家でもなく、両者の体験を踏まえて、国際政
治全般の大きな流れを洞察する戦略思想家という意味で、現代アメリカを代表するのは、キッシンジャーと
ブレジンスキーの二人であろう。漢語的な表現を使えば、この二人はまさに現代アメリカの戦略思想を代表
する双璧であり、龍虎である。前者はハーバード大学の教授からニクソン政権の国家安全保障問題担当大統
領特別補佐官になり、後者はコロンビア大学の教授からカーター政権の国家安全保障問題担当大統領特別補
佐官になった。退官後、二人ともワシントンに本拠のあるジョージタウン戦略国際問題研究所の顧問とな
り、わたくしもこの研究所とは特別の関係にあったので、ワシントンではときどきお二人とお会いした。
 

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                           共産主義の犠牲者の数  ブレジンスキー

 

 
 

 いままで述べてきた事実は、共産主義諸国がとくに重工業、社会福祉、教育の分野で大きな発展をとげた
――とくに共産党が政権をとった当初は――ことを否定するものではない。しかし、この成果は信じられな
いほど多くの人命を犠牲にして達成されたものだった。

 社会改革の試みにおいて、二〇世紀における人類の共産主義との遭遇ほど、無意味で大きな犠牲を引き起
こしたものはなかった。犠牲の規模については、誰にもはっきりしたことはわからない。これらの政権は死
傷者の数を大部分秘密にしており、また、心理的、文化的な損害は数値では表わせないものだからである。

 しかしながら、マルクス・レーニン主義政権が社会を共産化する過程で、どれほどの人命が犠牲になった
か、おおまかな推定をすることはできる。最近ソ連と中国で、過去の行きすぎた政策への反省がなされるよ
うになったため、従来は入手しにくかった資料が得られるようになった。そのため西側でも、より信憑性の
ある結論を引き出せるようになった。
 
 

 犠牲者の数は次のとおりである。

  一、権力獲得の過程での処刑


 革命や内戦での戦死を除く、処刑による死者の数は、ソ連で少なくとも一〇〇万人、中国で数百万人、東
欧で約十万人、ベトナムで少なくとも一五万人と推定される。
 
 

  二、権力獲得後の政敵や反抗者の処刑


 これらの殺戮は、共産主義者が全国を制覇していった数年間にわたり行なわれた。おおまかな推測で、そ
の数は「一」であげたものと同程度と思われるが、ソ連と中国の合計は控えめに見ても五〇〇万人といわれ
る。
 
 
 

  三、実際の態度に関係なく、政敵になる可能性があると思われた階級に属する人々の根絶


 元軍人、役人、貴族、地主、僧侶、資本家が典型的な例である。処刑されたり、強制労働収容所に送ら
れ、そこで大多数の人々が死亡した。その数は見方によってかなりの幅があるが、最近のソ連、東欧、中国
の発表から推測しても、三〇〇万人から五〇〇万人は下回らないものと思われる。
 
 
 

  四、自営農家の解体


 ソ連のクラークと呼ばれた階級がその代表例である。クラークは処刑または収容所送りとなって消滅し
た。ソ連と中国において抹殺された自営農家の合計は、数百万人から一〇〇〇万人近くで、ベトナムと北朝
鮮が数十万人と思われるので、この種の死者は一〇〇〇万人以上であろう。
 
 

  五、大量の強制移住による死亡


 農業の集団化推進のためにこのような政策がとられ、その結果ソ連、東欧、中国で大規模な飢饉、伝染病
その他の混乱が起きた。とくに大躍進政策の時代、地主追放運動と人民公社の設立が行なわれた中国で、こ
の現象がいちじるしかった。またソ連でも、嫌疑をかけられた非ロシア系住民が強制移住させられたことを
忘れてはならない。ラトビア人、リトアニア人、エストニア人をバルト三国から、ポーランド人をソ連の西
部地域から、タタール人をクリミア半島から、さいはての地シベリアヘと送り込んだ。最近のソ連の資料に
よると、犠牲者はソ連だけで七〇〇万人から一〇〇〇万人と推定される。中国では二七〇〇万人にのぼると
いう者もいる。つまり、控えめに見ても合計三〇〇〇万人という恐るべき数字になる。
 
 

  六、粛清によって処刑され、または収容所で死んだ共産党員


 ソ連では権力闘争に敗れて粛清された共産主義者が数多くいる。一九三六年から三八年の間でその数は一
〇〇万人を下らないと思っていいだろう。東欧では一九四〇年代末から一九五〇年代はじめにかけて、何万
人もの共産主義者が殺されるか、投獄された。中国でも――とくに文化大革命の際――数百万人が同様の運
命に遭った。
 
 
 

  七、長期間の監禁、強制労働による肉体的・心理的な損傷


 ソ連では一九五〇年代半ばの大赦によって、数百万人の人々が刑期満了前に釈放された。なかには、非常
に苛酷な状況のもとで二〇年も監禁された者がいた。同じような大赦は、東欧でも一九五六年のフルシチョ
フのスターリン批判後に、そして中国では文化大革命後の一九七〇年代前半に行なわれた。
 
 
 

  八、弾圧された人々の家族が受けた迫害


 ソ連では右記の「一」から「六」までの項目に当てはまる人々の家族も、処罰の対象となった。迫害に
は、処刑から投獄、強制移住、住宅・就職の際の差別まで、いろいろな段階があった。
 
 

  九、社会全体に広がる恐怖と孤独感

 社会のすべての階層――労働者と貧農以外――が共産主義による強制的な社会改革の際に、党や政府機関
からイデオロギー的な憎悪の対象にされた。
 
 

  以上のような社会的な犠牲――少なくとも五〇〇〇万人の死者を含む――を見ても、共産主義が史上最
悪の、途方もなくむだな社会改革の試みであったことがわかる。現在の共産主義政権が過去の「過ちと行き
すぎ」を認め、大幅な政策変更が必要だと考えているだけに、犠牲となった人々の悲劇性は一層大きなもの
となる。いい換えれば、ソ連、中国そして東欧の一部指導者は、過去の共産主義の「行きすぎ」を、社会経済
的に非生産的であった上に、倫理的にもおぞましいものだったと認めたのである。
 
 
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