NO. 2 ◆革命によりキリスト教会を破壊する人々◆

「300人委員会」のジョンコールマンを始め、多くの
研究者が指摘しているようにフランス、ロシア革命を始めとする世界の革命の中には、一貫して「反キリスト、反
教会」の動きがあります。これらは、サタン的なものです。
以下は、山川出版社 「フランス革命の社会史」松浦義弘よりの引用。

ー引用始めー

非キリスト教化運動

しかし、一七九三年十月1日に、国民公会が九三年九月ニ十二日の共和制の樹立を起点とする「共和暦(革命暦)の導入を決定すると、九三年秋から九四年春にかけて、「非キリスト教化運動」と呼ばれる、既存宗教を根絶しようとする運動が激発した。既存宗教の否定の動きは、すでに共和暦の採用以前からはじまっており、たとえぱ、フランス中部のニエーヴル県やシェル県などでは、神を冒涜する仮装行列や宗教的シンボルの破壊などの反宗教的示威運動が増加していた。だが共和暦の導入はこの動きにいっそう拍車をかけ、各地の派遣議員と革命軍を中心にはげしい反キリスト教キャンペーンが展開されることになるのである。

とりわけ重要なのはパリの動きで、パリ・コミューンが非キリスト教化運動を公式
政策としたことだった。10月23日には、ノートルダム大聖堂の正面玄関の国王たちの彫像の除去が命じられた。

「聖」という言葉が街路名から除去され、マラの肖像が宗教的な像にとってかわり、聖職者の衣服の着用が禁止された。そして十一月七日には、パリ・コミューンの圧力のもとに、宣誓派のパリ司祭ゴベルが国民公会にきて聖職放棄を宣言した。そして十一月十日に女優が「自由と理性の女神」に扮し、「埋性の祭典」がノートルダム大聖堂で挙行され、非キリスト教化運動がその項点をきわめることになるのこの時期(一七九三年-1794年)には、フランス各地で多様な形態の反キリスト教の運動がみられた。

たとえば、聖職者が聖職放棄や妻帯を強制されたり(九四年春までに、約二万人の聖職者が聖職を放棄し、約6000人の聖職者が結婚した)、教会が閉鎖されて「埋性の神殿」に転用されたり、教会での礼拝が禁止されたりした。また、教会の銀器や鐘が没収されて当局に引き渡されたり、教会の聖具や聖画像が略奪、破壊されたりもした。さらに司教冠をかぶせられたロバの行進、国王や聖職者の人形の火刑、カー二バル的宴会、教会の広場にたてられた火刑台の前で、舞踏を踊らされる司祭、神を冒涜する言葉をはくキュロット、など反宗教的で、反聖職者的カーニバルが頻発した。

ー引用終わりー

これらの勢力は、決して終わったわけではなく、さらに
大きな「革命」のため、準備、用意をしていることを
コールマン博士始め、多くの研究者は、指摘しています。