最近のデータでは、最も多かった五〇年代初めで二五〇万人である。このうち「反革命活動」で有罪と
さ
れた人は約四分の一、後は軽犯罪への不釣り合いな刑で抑留されているものが大部分だ。例えば「社会的
所
有」の窃盗に関する法律では、コルホーズの畑で小麦の穂を幾つかとっただけで、五年から一〇年のキャ
ン
プに回すことができる。
強制収容所での死亡者数について現在入手できる資料によれば、一九三一〜五三年に五年以上受刑者が
送
られた大総合強制収容所の八五〇万人中八八万一〇〇〇人が死亡している。比較的軽罪の受刑者が送られ
た
労働開拓地の六五〇万人中では、資料がそろわないため、四〇〜五〇万人が死亡したと見られる。こうし
て
強制収容所における死亡者総計は一五〇万人足らずである。
キャンプにおける死亡率は時代によって著しく異なる(別図参照)。最も恐ろしいのは一九三三年で、
死
亡率は二〇%に上っている。これは大飢饉と大強制収容所の混乱に基づくもので、管理の不行き届きで収
容
者の五分の一が飢えと疫病で死亡した。一九三八年には九%が死亡したが、これは「大粛清」の犠牲者が
送
られキャンプが過密になったためである。一九四二年には二〇・七%、四三年には二〇・三%に達した
が、
これは収容者が補給のないキャンプに放置されたためだ。この二年で四〇万人が死亡しているこの時期、
一
〇〇万人以上の囚人が釈放され赤軍に投じられて初戦の軍事的損失を補った。