キリスト教を異常に執拗に攻撃し、抹殺を図ったレーニン。

その思想 行動には「クリスチャン攻撃」を公言するタルムードとの
共通点がある。

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 第一、レーニンは、宗教が「市民の私事」「個人の良心」の問題であるとは断じて認めませんでした。ロシ
ア革命にとって、宗教は、最重要な社会・政治的な課題であるとしました。論文や書簡等に見られる、レーニ
ンの宗教にたいする敵意や反感は、あまりにも激烈で、偏執狂的です。ゴーリキーの宗教的偏向をとがめた書
簡のなかでレーニンは、宗教信仰を抱く者すべてを口汚くののしって「法衣を着けていない坊主、粗雑な宗教
をもっていない坊主を暴露し、非難し、放逐すべきである」と述べました。さらに第二の書簡では「神の観念
はいつでも奴隷制(最悪の出口のない奴隷制)の観念である」と、バクーニンに劣らない激しさで宗教に非難
を投げつけています。この「攻撃的無神論」こそが、1922年の血なまぐさい宗教弾圧を招来する要因の一
つでした。

 

 第二、レーニンのいう政教分離の原則は、自由主義的な信仰の自由や良心の自由の原則を意味するものであ
りません。レーニンの関心は、ただ一点、革命闘争の勝利に注がれているのであって、その目的は、宗教と国
家権力との結びつきを断ち切り、宗教を無力化するとともに、併せて既存権力の「神聖の剥奪」と弱体化を促
すことでした。したがってそれは、宗教根絶の闘争の第一歩であり、その有利な条件をつくり出すための革命
戦略の一環にほかならないのです。

 

 第三、1919年のロシヤ共産党(ボ)第8回大会で、レーニンは、プロレタリアート独裁の任務は宗教
の根絶であるとはっきりと指摘しています。「宗教政策の分野では、プロレタリアートの独裁の任務は、す
でに法制化されている教会と国家との分離および学校と教会との分離に満足しないことにある。プロレタリア
ートの独裁は、搾取階級すなわち地主および資本家と、大衆の無知をささえるものとしての宗教宣伝団体との
結びつきの破壊を、徹底的におしすすめなければならない。」と。しかし、ここまでくると、「戦闘的無神
論」それ自体が「擬似宗教的信仰の対象」となり、いっさいの宗教の存在も、また他のいかなる信仰をも容認
せず、ついには血なまぐさい宗教弾圧に狂奔するに至ったのでした。

 

 したがって、レーニンの「戦闘的無神論」は、マルクス・エンゲルスの宗教批判との共通点を持ちつつも、
その本質はロシアにおける「戦闘的無神論」の伝統を受け継いだものです。レーニンの「聖職者全員銃殺型社
会主義」とは、マルクスや西ヨーロッパの社会主義理論、思想と根本的に異質な、かつ、「人道にたいする犯
罪」を是認し、異端者大量殺人を正当化した異様なロシア特殊的社会主義でした。
 

*ユダヤ主導の共産主義は宗教的な色彩さえ帯びている。
それは、独善的なユダヤ一神教の形を変えた表現。

 

 廣岡氏が引用しているニコライ・ベルジャーエフの2節を転記します。

 『マルクス主義はあらゆる第一義的な問題に解答を用意し、生に意味を与える普遍的な、完成した一つの思
想であると自負している。それは政治学であり、倫理学であり、科学であり、哲学でもある。それはキリスト
教にとって代わろうとする新しい一つの宗教である』(P.40)。

 ベルジャーエフは、苛烈な宗教弾圧を招いた共産主義体制の疑似宗教的性格を指摘して、次のように論じて
いる。『共産主義は、神の選民としてのプロレタリアートにたいする宗教的崇拝を要求する。それは神と人間
にとって代わるために招かれた社会的集合体を神化する。社会的集合体こそ、道徳的判断と行為の唯一の基準
である。それはいっさいの正義と真理とを包摂し、表現する。それは自己の正統神学を有し、自己の祭祀を創
始する。それは他のすべてにたいして強制的な、自己の教義体系と自己のカテキズムとを準備する。それは異
端を剔抉し、異端者を破門する』(P.55)

 
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