警告!警告! 警告! 獣の刻印 by エレミヤ

 

             告:

 

黙示録に警告された獣の刻印のターゲットはクリスチャンであり、印をつけられた者は永遠の命を失う

 

反キリストによる666の刻印:それはクリスチャンがターゲッ

 

本日は「獣のしるし」として、このことを見ていきましょう。

黙示録は終末の日に多くの人々が獣のしるしをつけられることを語ります。以下の通りです。

 

黙示録13:16 また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。

 

 

ここで、獣のしるしを付けられる人々が出てきますが、これらの人々は我々の理解では、クリスチャンです。クリスチャンが背教のゆえに最後は獣のしるしをつけられるようになる、という恐るべき未来を聖書は預言しているように思えます。このことを見ていきたいと思うのです。

 

この黙示録13章を順に見ていきましょう。

 

13:1 (そして、私は海べの砂の上に立った。)

また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。

終末の獣:それはアメリカのことである

 

 

終末の日に多くのクリスチャンが獣のしるしを受ける、という大変な時代がやってきます。

このような異常な時代、艱難時代のすべての基本、原因は、獣の国の台頭にあるのです。

この獣の国は我々の理解ではアメリカです。そして、アメリカはその日、キリスト教国というよりは、神をけがす国、冒涜の国になります。

 

今すでにアメリカではその兆候が現れています。アメリカのオバマ大統領は、

聖書の明確な教えに逆らい、同性愛を公認し、同性婚を合法であると認め、

それに反対するクリスチャンを逮捕、罰金の重罪に定めています。とんでもない冒涜です。この一事からもわかるように、アメリカは、

まさにここに書かれている神をけがす国になっているのです。

 

世界に先駆けアメリカで合法化された同性婚:アメリカは神を冒涜する獣国家である

 

「(そして、私は海べの砂の上に立った。)」

 

このことばは、日本語の新改訳聖書ではその前の12章の最後のことばになっています。(12章18節)

しかし、KJVを始めとした聖書では、この13章一節の一部として書かれています。

一見あまり意味のなさそうな、「そして、私は海べの砂の上に立った。」とのことばですが、

私には大事なことばと思えます。

 

砂は、私たちのよく知っている、岩の上に家を建てた賢い人、砂の上に家を建てた愚かな人の例話に通じます。この黙示録13章には背教の教会に関するあらゆる災いが描かれています。

 

その日、背教の教会は反キリストに席巻され、彼を礼拝することを強要され、その

あげく獣のしるしまで、個々のクリスチャンは受けるようになります。何故そんな災いを受けるようになるのか?その理由は明確に書かれていないのですが、この砂ということばが理由を暗示しています。

彼らがそのような災いに会うその理由は彼らが砂の上に建てられた家、教会だからであり、

みことばを行うことを実践していない、それゆえ、そのような災いに入ることになる、そのことが

暗示されているのです。

 

 

 

砂の上に建てられた家:みことばを行わないクリスチャン、教会は獣を拝むようになる

 

 13:2 私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。

 

この国を形容するひょう、熊、ししという3匹の獣の共通点は「人食い獣」である、ということです。

人は、「神の息を受けて生きた人となった」とのことばからわかるように、クリスチャンのたとえでもあります。

 

要するにこの獣はクリスチャンを喰い、その命、永遠の命を奪うべく活動する、悪魔の意志を行う国となるのです。

 

「竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。」

 

竜とはサタンのことです。ですので、終末という時代の特殊さは、サタンが自分の意志を行い、多くの人を殺し、多くのクリスチャンの永遠の命を奪う時代になる、ということなのです。

そして、そのサタンの願いや意思、思いを実現する手段として、サタンは終末の日に特別な国、

獣の国を手にするようになるのです。

終末の時代の特殊性、それは、この世の人々の神への冒涜、さらにクリスチャンの背教のゆえに、

神の怒りの中で、サタンの切り札、獣の国の台頭が許される時代になる、ということにあるのです。

この国こそが終末のもっとも大きなポイント、特徴なのです。

 

終末の時代には教会が背教化し、クリスチャンが獣の像すなわち、反キリストを拝むようになります。

それらの背教は、獣の国の圧倒的な支配、権力、脅かしの中で行われることを知りましょう。

 

 

 

 13:3 その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、

 

 

打ち殺される一つの頭

 

 

この獣の国であるアメリカは、「打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。」とのことばどおり、これから、国の壊滅、さらに復活劇を経験するようになります。

具体的には、突然アメリカの国の全土が他国から攻撃され、滅ぼされたかのようになる、しかし、

しばらくして、劇的に国が復活する、という経験です。

 

このことの小さな例が、911テロです。アメリカは911で、突然テロリストに理不尽な攻撃を受けて大きなダメージを受けたが、そのあと、劇的に復活しています。このことが全国的な規模で再現する、と思われます。

しかし、それは、911テロがそうであるように、すべて前もって計画された壊滅劇、復活劇なのです。

 

 

9.11テロはやらせのテロ:同じ手法が獣の国の壊滅、復活に用いられる

 

「そこで、全地は驚いて、その獣に従い」

 

この獣の国に全地が従うことが描かれています。すなわち、いずれ、アメリカが全世界を支配するようになるのです。

ですので、恐ろしい時代が到来することは理解しなければなりません。サタンの意志を行う国が

全世界、そして、全キリスト教会を支配するようになるのです。しかし、何故そんなことが許されるのか?

その理由は今の時代の人々の神への冒涜の故であり、教会の背教のゆえなのです。

 

終末の日にこの世界はまた、全世界の教会は獣の国により、大きな災いを受けるようになります。

そして、その理由はこの世の人々の冒涜、また教会の背教にあるのです。神がそれらの

冒涜、背教を怒られたゆえ、獣による災いが今の時代に対して許され、教会に対して許されたのです。意味なく神がこのようなことをゆるしているのではありません。また、終末の日の教会に何らの不義も罪もないのに、神が理不尽な災いを下すのではないのです。この点でも神が正しいのです。このような

当然の論理を理解できない、多くのクリスチャンがいます。

このような基本の基本も理解できないで、どのようにして、この黙示録が理解できるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 13:4 そして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう。」と言った。

 

 

サタン礼拝が世界に広がる

 

 

竜とは何かというと、サタンのことです。

 

以下の様に書かれています。

 

黙示録 12:9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。

 

そしてここでは、全地が竜を拝んだことが描かれています。すなわち、全地、全世界が、サタン礼拝に入っていく、ことがここで書かれているのです。

終末とはアダム以来ずっと続いていた人間の歴史の終わりですが、その時、神によって造られた人間は冒涜の極みに達し、神を拒否し、サタンを拝むようになる、そのことを知りましょう。

 

 

 

 

“また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう。」と言った。”

 

ここでは、獣の国アメリカが、「だれがこれと戦うことができよう。」として、

世界最強の国となることが描かれています。

したがって、この日、アメリカはその世界最強の軍備をもって、世界を支配することがわかるのです。

現在でもアメリカはすでに世界最強の軍備を持っています。この軍隊がそのまま、アメリカの世界支配の基礎となって行きます。

 

 

 

 

 13:5 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。

 

この獣の国アメリカの獣としての活動期間は42ヶ月であり、それは、艱難時代の3年半です。すなわち、艱難時代の災いのすべてはこの国由来で到来することを知りましょう。

 

「傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ」

 

この獣の国の特徴は傲慢であること、です。すなわち、全世界を睥睨し、自分の指示に従わないものを脅かすわけです。 また、けがしごとをいう口を持ちます。すなわち、神やキリストを冒涜するのです。神やキリストのことなど敬わないサタンの意志そのものをこの国は行うわけです。

 

 

 13:6 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。

 

この獣の国は、神の御名をののしるようになります。このことは今アメリカで既に行われつつあります。

アメリカでは、公共の場で神に祈ったり、聖書のことばを公に表示したり、することが非難されつつあります。

たとえば、学校の昼食時、神への感謝の祈りをする子供を教師がとがめたり、叱責したりします。

また、自分の経営する喫茶店にみことばを掲げる店主が非難されたりしています。

 

「その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。」

 

幕屋とは、神を宿すものとしてクリスチャンをさす表現です。また、天に住む者たちとは、別に天の

天使のことを語っているのでなく、天的なクリスチャンをさす表現です。

すなわち、その日、獣の国アメリカ主導で、正しいクリスチャンを非難する世論や、ブームが

大きく起きてくるようになります.

みことばに従うクリスチャンを偏狭な原理主義者だとか、カルトだとか非難する声が世界中で大きく広まるようになります。

今すでにアメリカでは、路傍伝道を行うクリスチャンが逮捕されたりしています。このような

正しいクリスチャンを非難するムーブメントが大きくなっていきます。

 

 

 

同性愛者のためにケーキを焼かないとのことで非難されケーキ店を閉じたクリスチャン家族

 

 

 

福音のために逮捕されたクリスチャン

 

殺すなとの聖書の教えに従い中絶反対(pro life)の運動を行ったため、逮捕されたクリスチャン

高校生(逮捕後裸にされ、身体検査をされる)

 

 

 

13:7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。

 

 

この獣の国は聖徒すなわち、クリスチャンたちと戦い、その戦いに勝利を得ることが許されるようになります。すなわち、正義が勝つのではなく、悪が勝つようになるのです。

何故このように理不尽なことが終末の日に許されるのでしょうか?その理由は

教会の、クリスチャンの背教のゆえ、不従順のゆえであることを知りましょう。

 

ですので、私たちは終末に関して、自分の希望や理想やたてまえではなく、また、教え込まれた教理でもなく、しかし、書かれたことばに従って理解することを求めましょう。

 

ここでは、終末の日に、聖徒たちが最後には勝利を得ると、書かれているのではなく、しかし、

獣の国が聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つと書かれており、裏返せば、クリスチャンも教会も

獣の国の画策に敗れ、その教理も、教えも大事な信仰もみな、奪われ、崩されていることが書かれているのです。悲しいですが、そう書かれているなら、そう理解しなければならないのです。

 

 

崩された教会:教会、クリスチャンは獣に敗北する

 

このことは残念ですが、しかし、歴史を振り返れば妥当です。

かつての主の初降臨の日において、旧約の神の民は、神の一人子を殺し、十字架につけ、その

冒涜のゆえに、エルサレムは敵の軍、ローマ軍に倒され、宮は崩壊しました。

たとえ、彼等ユダヤ人が、神の民であっても、この戦いの日に、敵に勝利を得ることはできなかったのです。

主の再臨の日においても、同じことが繰り返されると理解するのが正しいでしょう。

主の再臨の日、新約の神の民は聖霊なる方を追い出し、その

冒涜のゆえ、新約の神の宮である教会は、崩壊し、その教会の土台である、預言者や、使徒、さらに隅のかしら石であるキリストの教えさえ、教会から取り除かれるようになるのです。

獣の国のキリスト教壊滅の作戦にまんまと倒され、教会は崩壊してしまうのです。

 

そして、このことに関連してあまり書きたくはないのですが、しかし、はっきり

語らないといけない一つのことがある、と私は思っています。

それは何かというと、旧約の神の民の裁きとして、神の民の中心地エルサレムが異邦の民、ローマに

攻撃されたとき、その時、生き残った神の民は皆無だったこと、一人残されず殺されてしまった、このことです。

 

同じことは新約の神の民の歴史の終わり、反キリストが教会の土台を崩すとき、繰り返されると思われます。

何をいっているのか、というと、その日、背教の教会にとどまり、なおかつ命を得る人は恐らく、

皆無となるでしょう。背教の教会にとどまる人はすべて永遠の命を失うようになる、そう理解できるのです。それで、私たちはその日、主のいわれたように、「山へ逃げる」こと、地下教会へ逃れることを考慮すべきなのです。かつての日、ローマによるエルサレム攻撃の日、この背教の都にとどまらず、

主のことばどおり、「山へ逃げた」クリスチャンは自らの命を救いました。同じように、終末の日、背教の教会にとどまらず、この教会を離れるものは永遠の命を救います。

 

 

 

ローマによるエルサレム攻撃の日:生き残った民は皆無だった

 

 

 

 13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。

 

地に住む者とは、未信者ではなく、クリスチャンに関して語られていると思われます。

地に住む者(地に定住するもの)の反対語はこの世では、旅人、寄留者であるアブラハムの様な歩みです。アブラハムとは異なり、地に住むものはこの世の定住者であり、この世の生き方、考え方をすっかり、取り入れたクリスチャンです。

具体的には地に住むものとは、今、この世のトレンドに乗って同性愛を受け入れたり、進化論を受入れたり、しているクリスチャンです。

彼らは、「ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者」であり、

結果、永遠の命を受け継がない人々です。

 

 

命の書: ここに名前が記されていないものは、滅びに定められ、火の池に投げ込まれる

 

 

 

 

 

 13:9 耳のある者は聞きなさい。

 

このことを理解することは、大事です。終末の日に 地に住むもの、すなわち、この世の流れに従って

歩み、この世の方法に準じている人々はいずれ、獣の国アメリカの方針に従うまま、永遠の命を失うようになる、このことはよくよく理解しなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 13:10 とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。

 

この様な時、すなわち、獣の国主導の3年半の艱難時代に入り、正しく主を崇め、聖書のことばに従った人々がののしられる時がきます。

そして、その時こそ、この時代に生きるクリスチャンにとり、天下分け目の関が原の戦いならぬ、

自分の永遠の命をかけた忍耐や戦いの時であることを知りましょう。艱難前携挙説とは異なり、

聖書はその日の前に天に挙げられるなどとは、決して決して語っていないのです。逆にこの

ことば、「ここに聖徒の忍耐と信仰がある。」とのことばのように、艱難時代に備えること、

艱難を通過するが、しかし、忍耐を持って、信仰を持ち続けることを聖書は語っているのです。惑わされてはいけません。

 

 

 

 13:11 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。

 

 

このもう一匹の獣は何か、というと、「小羊のような」との表現で理解できるように、

小羊キリストに従うはずのキリスト教会のことです。2本の角はキリスト教会の2大勢力、カソリックとプロテスタントです。その日、世界の教会は背教に入り、神の前には獣とみなされるようになります。

 

 

 

 

小羊の様な2本の角を持つ獣とは獣化した背教の教会

 

 

 

「竜のようにものを言った。」

 

その日、公の教会は背教化し、キリストの代言者というより、竜、サタンの意向をかたるようになります。サタンは嘘つきですが、その日、教会も聖書にもないウソをつくようになるのでしょう。

いわく、性的マイノリテイの権利を無視してはいけない、教会は同性愛を受入れるべきである。

いわく、他の宗教への配慮をしなければならない、自分のところだけに唯一の救いがある、

キリストのみに救いがある、などとの排他的な教えはよくない、などというのでしょう。

 

 13:12 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。

 

「この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。」とは、

どういう意味かというと、獣となったキリスト教会はあらゆる獣教理をクリスチャンに受入れさせるべく、最初の獣、すなわち、アメリカの権威を最大限に利用する、という意味合いです。

ですので、アメリカによる、恫喝、強制、法律の下で、あらゆる獣教理がキリスト教会の中で強制されるようになるのでしょう。

 

「致命的な傷の直った最初の獣」とは、アメリカのことです。ですから、ここで語られているのは、

人間を崇拝しろ、と書かれているのでなく、国を崇拝することが書かれているのです。

ここでは、反キリストのことなど書かれていません。よく文脈を読まなければなりません。

 

 

 

 

 

 13:13 また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行なった。

 

天から地に降らされる火とは、ペンテコステのことを思い出せば理解できる、と

思います。その日、天からの火、すなわち、聖霊がそれぞれの人の上に下りました。

同じ様な意味あいで、この日、天から火が下ります。しかし、それは、聖霊ならぬ、

悪霊の火です。

しるしと不思議の霊でクリスチャンを惑わすわけなのです。

 

 

 

 

 

 13:14 また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。

 

その日、獣となった教会において、しるしと不思議が行われます。

「あの獣の前で行なうことを許されたしるし」とはどういう意味合いかというと、

獣の国公認のしるしや不思議のことをいいます。

勿論、その日、獣の国アメリカは聖霊の器など公認しません。逆に、

ベニーヒンを始めとした悪霊の器は公認されるでしょう。

 

 

 

しるしのリバイバル:しるしと不思議がクリスチャンを惑わすために用いられる

 

 

 

獣の像(image)とは何かというと、これこそ、反キリストをあらわす表現なのです。

反キリストはご存知の様に人間です。そして、反キリストとは、サタンが人となられたキリストに対抗して立てる人間なのです。

キリストは人であられ、また、目に見えない神のかたち(image)です。

目に見えない神は、目に見えるキリストという人を通してご自身をあらわされています。

同じ意味あいで、反キリストという人間は獣の国を体現、象徴する様な人となります。

そして、何故この日、反キリストという人が現れるのかというと、それは、

キリストという人を意識したもの、キリストに対抗したものとなるのです。

反キリストは獣を操るサタンのあらゆる傲慢、冒涜、高ぶりを体現する人となります。

彼はキリストに対抗し、自分に対して、キリスト以上の尊敬、信仰、献身を教会のクリスチャンに求めるようになります。それは、サタンの願いそのものです。

 

「あの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。」

 

像を造るとのことばにはたとえが使われています。いわんとしていること、語られていることは、

その日、背教の教会、クリスチャンは、反キリストを自ら、自分の手で推薦し、選び、

教会の神として建てる、ということです。

旧約聖書で書かれている偶像崇拝とは旧約の神の民が木や石を削り、自ら偶像を作り、設置するものです。同じ意味あいで、反キリスト礼拝の重要な点はそれが、形としては「民が自ら選んだ」という形がとられることです。

 

 

獣の像、すなわち、反キリストを拝む

 

 13:15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

 

獣の像、すなわち反キリストは、教会の中で、ものを語り、キリストの様に語るようになります。

そして、反キリストという個人を礼拝することが教会の中で強要され、

拝まないものはみな、殺されます。したがって、我々はこのような日まで、背教の教会にとどまるべきではないのです。公の教会を出て、仮庵すなわち、地下教会に入ることが正しい道なのです。

 

 

 

 

 

 13:16 また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。

 

 

 

獣の刻印を押される

 

 

 

ここでは、教会のすべての人に獣の刻印を受けさせたことが書かれています。

この刻印はクリスチャンをターゲットとしたものです。また、以下の神と神の民との契約を意識し、

対抗して用意されたものです。

 

申命記 11:18 11:18 あなたがたは、私のこのことばを心とたましいに刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。

 

この箇所はモーセが十戒を受け、神のことばを受ける箇所です。そのとき、神はその神のことばを

「手に結びつけ、記章として額の上に置」くことを命じたのです。

 

すなわち、神の民がその神と契約を結ぶとき、手と額が関係してくるのです。

そして、反キリストの刻印が右手か、額につけられる、というとき、明らかにこの

神との契約を意識し、対抗したものとなるのです。

もっとはっきりいうなら、この獣の刻印はクリスチャンのもっとも大事なもの、神との間に交わされる永遠の命の契約にターゲットを向けているのです。具体的にはこの獣の刻印を受けるものはみな、神との永遠の命の契約が破棄され、永遠の滅びに定められるようになるのです。以下の様に書かれています。

 

黙示録14:9 また、第三の、別の御使いも、彼らに続いてやって来て、大声で言った。「もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、

 

 14:10 そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。

 

 14:11 そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。

 

ここに「だれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。」と書かれているように、獣の刻印を受けるものは永遠に休みを受けず、永遠の滅びに入るのです。

よくよく、このことを理解しなければなりません。

 

この日はダニエル書に書かれた一週の契約(7年の契約)の一環であり、

ダニエル書に「彼は一週の間、多くのものと固い契約を結ぶ」と書かれた期間の具体的な記述です。

その日、背教の神の民はキリストとの契約を破棄し、反キリストと堅い契約を結び、その契約の証として、獣の刻印まで受けるようになるのです。

ダニエル書に預言された「その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。:ダニエル9:26」とは、まさにこのことを表現しているのです。

 

 

おそるべき壊滅、崩壊が、キリスト教会の歴史の最後に預言されていることを正しく正しく理解しなければなりません。

 

 

 

 13:17 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

 

売り買いということばにはたとえが使われています。それは、あがない(買い取るという意味がある)と

関係しており、教会における救いやあがない、と関係しています。

ですのでここで語られていることはこうです。獣のしるしを受けたもの以外、救いやあがないなどに関わる大事な奉仕に関与できない、ということです。したがって、この背教教会から、真のキリストの救いやあがないを受ける人は皆無となるでしょう。

 

 

 

 13:18 ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。

 

その反キリストなる個人の数字は定められています。それは、666です。

ですので、恐らくですが、名前のアルファベットの数字合計が666となる人が反キリストになる、と思われます。

そんな風に反キリストとは誰か、というヒントがここで与えられているわけです。

 

結論として、この黙示録13章も終末の日における、教会の徹底的な背教、荒廃、壊滅を語っているのです。

 

再度繰り返して語りますが、終末の日の大きなポイントは非常に残念ですが、教会が、背教してしまうこと、そうであるがゆえに、背教の教会が徹底的に荒廃してしまうことなのです。結果、クリスチャンにとって、もっとも大事なことがら、救いも永遠の命も神との永遠の命の契約もみな、奪い去られ、破壊されてしまうこと、すなわち、神への祈りの宮としての教会が徹底的に破壊され、一つの石も他の石の上に残らなくなること、このことがポイントなのです。

 

そして、主がマタイ24章で繰り返し語り、警告しているように、その終末の日には、「屋上にいるものは家に戻らない」、

すなわち、地下教会に入っているものは公の背教の教会に戻らないことが大事なのです。

地下にある教会:終末の日には、公の教会は背教化する、地下教会に集まることが薦められている

 

 

 

黙示録13章が語っていること、それは、終末の日の背教の教会の徹底的な荒廃なのです。

終末の教会はかつての日、キリストを殺した後のエルサレムの都の様にすさまじい神の怒りをかいます。

その中で、獣の横暴、偽り、惑わしが許されます。そして、背教の教会の最後の一人まで、獣のしるしを受け

永遠の命を失う日が来るのです。それは、かつてのエルサレム絶滅の再現なのです。

悲しいことですが、しかし、聖書が語っているこれらの警告、重大な啓示を

理解しましょう。この背教の教会にとどまることでなく、そこを出ることを聖書は語っているのです。このことを知りましょう。

 


ー以上ー

終末の備えは以下を参照ください。

エレミヤの部屋


レムナントキリスト教会」