強引な自己中心性

アメリカのテレビでは、イスラエルに批判が集まるような事態が起きると、番組を突然なんの予告もなく勝手に変更して、臨時番組にしてしまうことがよくある。『アンネの日記』とか、ホロコースト関係の映画などを流し、イスラエルに同情が集まるように仕向けるのだ。マスコミを支配下に置く巧妙さ、臨機応変の操作ぶり、みえみえのことを承知でやってしまう神経の太さ。これを何年もやられると、いくら反ユダヤではない者でもうんざりし、「ここまでしなくても」とか「あまりやり過ぎると逆効果になるのに」とか思わずにはいられない。あるユダヤ系作家が、日本人とユダヤ人について、「両者には共通点が多い」というようなことを書いていたが、この人はあまり日本のことを知らないのではないかと思った。

私はユダヤ系の人と日本人の間には、あまり共通点はないと思っている。日本にはまだ謙譲の美徳とか、日本の伝統を大切に守る、という習慣が残されている。私が傲慢さをことさら嫌うのも、日本人なればこそだと思う。他者性としての自己を考える傾向の強い日本人と、ユダヤ的な自己中心主義はまったく相入れない。ユダヤ系の倣慢さを示すのにいい例は、セントラルバークにそぴえ立つメノーラ(大きな燭台。
ユダヤ教の宗教的な飾り)だろう。

クリスマスの飾りさえ、会共の場に取りつけるのはまかりならんという一方で、なぜ公共の場にこのようなユダヤ教のモニユメントを据えつけるのだろうか?なぜユダヤ教の飾りならば許されるのだろうか?
 

ユダヤ系御用達の商品マーク

アメリカのマーケットで食品、台所用品、洗剤などを見ていると、KとかUとかいう文字がついているのが目につく。ワシントンDCにある実に会明正大な新聞、スポットライト紙によると、このKやUはユダヤ教組織の名称の略だという。ユダヤ教には宗教上の理由からの食事規定があり、肉を調理する鍋とミルクを温める鍋は別々にしなくてはならない。豚肉は食べない。そのほか、清潔さや料理の方法などが細かく定められている。ユダヤ教の指導者たちは、アメリカ各地の企業へ出かけて行っては、「それらは清潔でユダヤ教食事法規に叶う」と保証し、そのかわりに、宗教団体への寄付を受ける、ということをやっている。洗剤や食品は、アメリカニ億五千万人が毎日消費しているものである。いったいどれだけのお金がユダヤ教団体へ流れているのだろうか。

商品の値段の中には当然、寄付の分も含まれているはずである。KマークやUマークが何を意味するのか知らないために、国民は自動的にユダヤ教団体に寄付を続けていることになる。これを公共と宗教の混同ではないと言うのだろうか。スポットライト紙の記事を読んで驚いた私は、さっそくアメリカ内務省に問いただしたが、KやUが何であるかは知らないという返答だった。

次に商務省に間くと、次のような返答ががえってきた。「たしかにそれは何かユダヤ系宗教組織を表わすものだが、各会社がらいくら支払われているかは宗教の自由のために公表されていない。したがって、収益のうち何パーセントの金が寄付金に回されているかは判らないし、調べようがない」ユダヤ系の人が食事規定に合ったものを判別するためなら、別に間題はないではないかという疑問が出るかもしれない。ならば、なぜ食品でもない洗剤や台所用品、プラスチックのゴミ袋にまで例のマークがついているのか、である。食品でないものにまでマークがついていること自体、何が他の目的があることを示している。また、食品規定のためなら、それを宣伝した方が企業のためにもなるし、なによりそれを必要としている人々にとっても便利になるはずなのに、なぜそうしようとはしないで黙っているのか、である。