私はユダヤ系の人と日本人の間には、あまり共通点はないと思っている。日本にはまだ謙譲の美徳とか、日本の伝統を大切に守る、という習慣が残されている。私が傲慢さをことさら嫌うのも、日本人なればこそだと思う。他者性としての自己を考える傾向の強い日本人と、ユダヤ的な自己中心主義はまったく相入れない。ユダヤ系の倣慢さを示すのにいい例は、セントラルバークにそぴえ立つメノーラ(大きな燭台。
ユダヤ教の宗教的な飾り)だろう。
クリスマスの飾りさえ、会共の場に取りつけるのはまかりならんという一方で、なぜ公共の場にこのようなユダヤ教のモニユメントを据えつけるのだろうか?なぜユダヤ教の飾りならば許されるのだろうか?
商品の値段の中には当然、寄付の分も含まれているはずである。KマークやUマークが何を意味するのか知らないために、国民は自動的にユダヤ教団体に寄付を続けていることになる。これを公共と宗教の混同ではないと言うのだろうか。スポットライト紙の記事を読んで驚いた私は、さっそくアメリカ内務省に問いただしたが、KやUが何であるかは知らないという返答だった。
次に商務省に間くと、次のような返答ががえってきた。「たしかにそれは何かユダヤ系宗教組織を表わすものだが、各会社がらいくら支払われているかは宗教の自由のために公表されていない。したがって、収益のうち何パーセントの金が寄付金に回されているかは判らないし、調べようがない」ユダヤ系の人が食事規定に合ったものを判別するためなら、別に間題はないではないかという疑問が出るかもしれない。ならば、なぜ食品でもない洗剤や台所用品、プラスチックのゴミ袋にまで例のマークがついているのか、である。食品でないものにまでマークがついていること自体、何が他の目的があることを示している。また、食品規定のためなら、それを宣伝した方が企業のためにもなるし、なによりそれを必要としている人々にとっても便利になるはずなのに、なぜそうしようとはしないで黙っているのか、である。