No.4

 

イスラエルを守るために

大統領候補者もユダヤ系を批判すればまず当選できない。当選したければ、必ずユダヤ系やイスラエルヘの支援を約束しなくてはならない。WASPといわれてプロテスタント優勢の国であるアメリカが、外交的には親ユダヤ的であるのは、一にも二にもこのせいである。大きな財力と組織、マスコミ操作を通じて、ユダヤ系の人々はアメリカをプロイスラエルの国に作りかえてしまったのである。私自身この事実に気づいたのはアメリカに住むようになって二、三年後、ジャーナリズムの仕
事をするようになってからだ。

仕事の資料にするために新聞、テレビ、雑誌などを丁寧に見るようになり、どうもおかしいと思い、いろいろと調べてみて気がついた。さまざまなメディアに登場する解説者、各分野の専門家、評論家、それらと対談するゲストなどのほとんどがユダヤ系であった。そう思って注意して見ていると、コラムニスト、ショウ・ビジネス、著名会社の代表、さまざまな分野の代表など、その圧倒的多数がユダヤ系なのだ。ユダヤ人はアメリカの全人口の四バーセントにも満たないのに、アメリカ人各界の代表になぜユダヤ系が集中しているのだろうか。私の疑問はだんだん膨れ上がっていった。

もっとも単純に、「ユダヤ系は優秀である」と理解すればよいのかもしれない。かりにそうだとして、ユダヤ系の人はユダヤ人特有の発想や価値観を強くもっている。そして、人生相談のアンーランダースとかミス・マナー、健康相談のドクター・ルース等、署名なカウンセラーはみなユダヤ系だ。そうなると、実際的に多くのアメリカ人がユダヤ系がら助言・忠告を受けていることになり、彼らの考え方が常時、メディアを通じて全米に流れていることになる。カウンセリングは意識的にせよ無意識的にせよ、自らの価値観を前面に出さずにはおかない。意識して新聞記事を読んだりしていると、誰々がユダヤ系を批判した、などという事柄は大々的に載るのに、イスラエルを批判する意見などは一つも見かけない。出版についても同じことが
言える。

ユダヤ系、イスラエルについての解説で事実をありのままに述べているようなものが活字になることはまず不可能である。例外的に、小さな名も知らぬ出版社や大学の出版局などでごくまれに出ることはある。しかしそうした書物は、予想される報復を恐れてか、多くの場合は外国から出版されている。まれにイスラエル、ユダヤ系について批判的な記事が新聞に出ることがある。しかし、体験的に言えば、それは「自分たちはこんなに公明正大だ」とが「私たちは権力には屈しない新聞社です」とかのアリバイづくりであって、他の系ではそうした取扱いはしないのに、ユダヤ系の場合では読者からの反論・反批判も同時に掲載するのが普通だ。

ハワイで私の書いた記事がそうしたアリバイづくりのエサにされたことがある。私の記事は、「現在のイスラエル人たちはバレスチナ人に対して、かつてヒトラーがユダヤ人たちにしたのと同じようなことをしている」と、イスラエル人によるパレスチナ人迫害を糾弾したもので、一九七六年、中東戦争の時に書いたものである。私はボツになるのを覚悟で少々過激に書いて出したのだが、意外にもハワイの新聞はこれを活字にした。これには私も同僚たちも少々驚いた。しかし、二、三日後、同じ新聞にユダヤ系の夫人からの猛烈な反論が載った。女性が書いたにしてはずい分と乱暴な言葉遣いである。

「日本人とドイッ人はヒトラーの仲間だ」「バカな日本人め、中近東について何も知らないくせ
に」「図書館へ行って勉強しなおせ」こんな具合に、傲慢な内容を書き連ねたものだった。これに対して、私の記事を支持してくれる人々から、たくさんの私信が舞い込んだ。その中に、ニューョーク出身でユダヤ系の学者だという人からの手紙があった。自らユダヤ系でありながらユダヤ系を批判することをことのほか軽蔑する風潮が強い中で、自分もユダヤ系でありながら冷静に物事を見つめている数少ないこの人に、私は感謝と尊敬の念を抱いた。

湾岸戦争以後、アメリカ市民の間に小さな疑問の輪がひろがりつつある。「この戦争は本当に必要だったのか」「話し合いをしていればこれ程たくさんのイラク人を殺さないですんだのではないか」「クルド民族も流浪の難民にならずにすんだのではないか」など。ユダヤ系の中でも、イスラエルのやり方を強く批判する人々が、あちこちで分立しはじめてもきた。徴妙な変化が、アメリカのユダヤ系内部で起き始めている。