No.12

マスコミの罪

なぜこうも徹底して中近東関係への意見はすべてボッなのか?単なる偶然か?偶然にしてはあまりに徹底している。マスコミ・編集の方で一定の方針を設定し、選択した結果に相違ない。こういう印象を受けている記者、作家たちは実に多い。このように偏向、選択することで、マスコミは過去にどれほど多くの将来性ある記者、作家、
市民の意見を踏み潰したことだろう。マスコミには人々を洗脳したり、誤った方両へ導いたり、正論を公表せず偏向した説を広めたり、といった特権があるとでも思っているのだろうか。私は、この罪は重大だと思う。人々に正しい事実、公平な意見を公平に報道するのが、マスコミや国の支配者、為政者たちの義務である。いかなる権利で、誰の許可を得て、正しい現実のあるがままを報道せず、一個人や一定のグループに都合のいいように報道内容を選択する権利があるのか?

長い間にわたって人を欺くならば、それは犯罪行為である。嘘、虚偽、一方的な情報が、あたかも正論・世論であるかのように伝えられ、民衆を煽動していく。これは恐ろしいことだ。だからこそ、私のような平凡な一記者でさえもが、何とかせねばならない、書かずにはいられない、という気持ちになるのである。なんとかしてアメリカに「公平さ」を取り戻させなければならない。これだけ正論を書き続けて、そのつどボツ続きであると、何かが怪しい、おかしい、マトモでない、といった印象を受ける。それでも私は我慢などせず、あるがままを報告する方を選ぶ。

この章の最後に、一九九一年四月の私の新間記事を紹介しておきたい。「最近アメリカ下院で、イスラエルに三億六千万ドルの援助金を出すことが、実に二四対二七九票の大差で可決された。なぜこれほど多くのアメリカの政治家たちは、アメリカの納税者たちよ
りイスラエルの方が大事だと考えるのか?私は、私の払う税金はまずアメリカで、教育、医療制度改正、そして貧しい人々や困っている人々のために使って欲しいと思う。

私が住んでいる地域の教育委員会は何年にもわたって問題が解決出来ず、同じことを繰り返している。彼らは言う、『予算が充分でない」と。私の息子の高校では、生徒たちは教科書を所有することができない。学校から貸し出されて、学年未には返すのである。どうりでアメリカの子どもたちの学力が上がらないはずだ。日本の生徒は将来読み返したり参考にしたりするため、教科書を所有することができる。

給食についても、同じように予算がないため、あたり前のように、外部から生徒の出費によって食品を取り入れるありさまだ。学校の公の出版物である雑誌や新聞も、父兄が資金調達をせねばならない。新型コンピュータの数も足りない。それぞれの学校にいるべき養護の看護婦もいない。教室も多くは窓もなく、小さな部屋にスシ詰め状態だ。校舎はひどくみすぼらしいので、倉庫のように見える。町の中の幾つかの倉庫の方がマシに見えるほどだ。世界最大の借金国アメリカのどこに、六憶五干万ドルもの金を他国に与える余裕があるのか?

それならその一部を、私の息子が通っている高校に分けてくれといいたいくらいだ。アメリカは近代化された国の中では、たった二、三しか見られない、社会医僚制度を持たない国である。たくさんのアメリカ人が、医療保険なしで生活している。これではおちおち病気もで
きない。そして、この国ではどんな小さな町に行っても、必ず何人かのホームレスを見かける。現にフロリダにさえ、ホームレスの人がいる。アメリカの政治家たちは、自分自身の国をきちんとその目で見ているのか?アメリカの納税者の金は、まずアメリカのために使うべきだ」

これはめずらしく一字一句、修正なしで掲載された。ではアメリカのマスコミは変わりつつあるのか?いや、いや。掲載されたのは、私がこの文にちょっとした仕かけをしたからであった。私は文中に、「私は決してイスラエルに反対するものではない。イスラエルが援助金を必要としているのならば、なんとかして誰かからそれを得られるよう望んでいる」という一文節を付け加えたからなのである。