ユダヤはアメリカを支配する No.1

アメリカのメディアとユダヤ系資本の関係
 
 

いまアメリカ映画は、スピード、暴力、SEXの全盛時代を迎えている。出版の方でも、ベストセラーは七、八割方が安っぼいロマンスもの。残りのほとんどはハウ・ッーものが占めている。いかにして働かずに大儲けするかを指南する本である。そんなに簡単に億方長者になれるはずもないのに、とにかくよく売れるから不思議だ。その他、タブロイド版のゴシップものや暴露ものもよく売れる。いったい、誰がアメリカをこんな骨抜きの状態にしてしまったのだろうか。とにもかくにもアメリカの社会はいつしか、欲望解放への歯止め装置なき社会となってしまった。
 
 

私はその点で、ユダヤ系商業資本の貴任は大きいと恩う。なぜなら、映画、テレビ、をはじめとするアメリカのマスコミ企業の大部分が、ユダヤ系資本の支配下にあるからだ。
 

色々な人種系で構成されるアメリカ社会で、マスコミ企業にとくにユダヤ系の影響力が強いこと、これもアメリカの大きな特徴である。「大草原の小さな家」ふうの、古きよきアメリカの資本主義精神は産業資本主義精神、いわば社会や個人に有用な物を作って利益を上げようという精神である。そして、二十世紀アメリカでしだいに頭角をあらわすようになった近代的な資本主義精神は商業資本主義精神、いわば純粋に利潤獲得を目指す精神であり、これはアメリカに大量に移入したユダヤ人たちを中心に形成されたものだ。アメリカにはいまなおこの二つの精神の対立があるが、これまで、貿易、マスコミ、金融など、物を生産しないビジネスの多くにユダヤ人たちが従事して来た。

そのような利潤獲得についての精神の転換もまた、アメリカのマスコミが、しだいに商業本位で大衆ウケする、低俗で、グータラなものを蔓延させてゆくことになった一因なのではないだろうか。私はことさら「反ユダヤ系」を主張する意図はないが、ユダヤ系の資本がこれほどまでに膨張し、その財力や権威を利用してますますそのカを強くしていることには恐怖を感じる。たとえば、ユダヤ系企業が支配する市場に新たに参入するとなると、ユダヤ系企業は結束し、また影響力をもつ他の企業とともに、さまざまな手を使って新入企業の潰しにかかるようなことは、実際にあることなのである。そこには、自由な国の自由な競争で展開される市場経済社会はない。私はたま
たまアメリカに住んでいる日本人に過ぎないから、そこまでやる気はないが、私がもしアメリ力人ならば、純粋なアメリカを取り返そうと改革運動を始めたかもしれない。

ユダヤ系の色彩を濃くするアメリカ文化

 

 

ある宗教家が、数年前にテレビの会見で次のように語った。「アメリカではマスコミはすべてユダヤ系の支配下にある。彼らはメディアを使って、実に巧妙にアメリカ全土を洗脳しようとしている」彼はその一例として、ユダヤ系のプロデューサーが、ドラマなどを制作する時、勝手に台本に手を加えてユダヤ系の考え方を書き入れた例をあげた。俳優に語らせればアメリカ全土にいきわたるし、若者への影響力も大きいというわけだ。アメリカの喜劇俳優のほとんどがユダヤ系である。チャップリン、マルクス兄弟、ジェリー ルイス、ウォルター・マッソーなど。芸術的評価を受けている人々もいるが、中にはプルックスの喜劇のように、低俗なものもある。誇張した動作、SEXについての冗談、映画の場面にさえ、用便をしているシーンを入れる。

これらは典型的なユダヤ系ユーモアで、私にはまったくピンとこないし、時には醜悪でさえある。イギリス喜劇に見られるような、さりげないユーモアに比べ
ると、むしろ惨めでさえある。―一これらがユダヤ系資本、ユダヤ系のプロデューサーによって作られても、世界の市場に出る時には「アメリカ喜劇」として流通する。

ヒスパニック系の人が作ったものなら、「アメリカで作られたヒスパニック系のもの」となるだろうが、ユダヤ系ではそうはならないところが、アメリ力文化がいかにユダヤ系の色彩を濃くしているのかをよく示している。実質的に「アメリカのもの」なのか「アメリカで作られたユダヤ系のもの」なのかを調べてみると面白いだろう。アメリカ人の中には、強く「アメリカ的アメリカ」を望む人も多い。しかし、あまり声高にそれを主張すると「お前は反ユダヤだ」とか「人種差別主義者だ」とかの激しい非難にあってしまうので、誰もおいそれとは口にはしない。

ユダヤ人や、その支援者たちは、ことあるごとに大戦中の問題を持ち出し、ヒトラーや、ナチスによるユダヤ狩り、収容所や大量虐殺に関する事例を振りかざす。そしてアメリカのキリスト教徒を「あの時、アメリカ人は、ユダヤ人に対して充分な援助の手を差し延べなかった」と責め立て、人々の良心の呵責に訴えることが、完全にパターン化されてしまっている。こうした心理反応を巧みに利用して、アメリカ人たちが反論しにくいような環境がユダヤ系によって作り上げられているといっても過言ではない。キリストもユダヤ人であり、ユダヤ人は『聖書』によれば選ばれた民である。そこで、ユダヤ
 

人に対抗することは何か神に対抗しているような感じで、なんとなく怖い気持ちもある。そういった、日本人にとっては不思議というしかないアメリカ人たちの心理は、彼らとつき合っているとよくわかってくる。もちろん、アメリカのユダヤ系の人々のすべてに問題があるのではない。ユダヤ系アメリカ人の中にも、イスラエルや大資本の中のユダヤ人の強硬なやり方を批判し、この国の将来を真剣に考えている人が増えて来ている。とくに湾岸戦争以後、そうした傾向ががなり出てきているように感じられる。