7 ソ連を支配する

しかもこれらの商取引きは、ほとんどが密貿易に近い形で実行に移された。というのは、共産主義と資本主義が交流することは、どちらにとっても外交政策上、外聞のよくない話だったからである。ロシアのパケツに大があいたのは、すでにこの時代であった。

レーニン、スターリン、フルシチョフ、プレジネフの全時代を通して、クレムリンの内部に地下の流通機構がつくられた。これに対してフランスなど西側のマーチャントの内部にも、表の世界からは見えない地下の流通機構がつくられ、その回路を通って石油、ダイヤモンド、穀物、金塊が行き来するようになった。問題は、その回路のなかを歩いてきたいかがわしい支配階級の人脈である。

この人脈を解き明かすのに、マルクスほど象徴的な人間はいない。彼はユダヤ人だが、世界最大のロスチャイルド財閥を背後に持つ一族であった。そのためマルクス死後に起こったロシア革命では、この勢力が共産党幹部の過半数を占め、エルミタージュ美術品の数々から、バクー油田の石油に至るまで、ソ連の財産の大部分が、全世界に広がるロスチャイルド財閥の一派に流れていった。

また産業としても、イギリス・ロスチャイルド財閥のICIなどが、バクー油田を中心にソ連の化学工業を支えてきた。それはロスチャイルド家が、帝政ロシアの独裁者ロマノフ王室と義兄弟の血縁関係にあったからである。しかもこの系譜に登場するのが、先ほど説明したビラリー・クリントンの同僚重役ヴォギュェ侯爵であるここでは、ロスチャイルド家とロマノフ家の直系の血筋をが示してある。結婚し合っているのが、一九一九年から三六年にかけて、つまりソ連でレーニ
ンースターリンが支配した共産党時代である。

この時代にロスチャィルド財閥がバクー油田の利権を実質的に取り戻しているので、史実と見事に符合する姻戚関係だったことが分る。このような隠されたソ連ー西側貿易が、ソ連崩壊とともに露骨に甦ったのが現在である。そしてァメリカのシティーパンクが、九四年一月一四日にモスクワにオープンした。これが、新生ロシアにおける一○○%外資系銀行としては最初の金融機関となった。ここには、一ルーブルも一ドルも、ロシアの資本が参加しなかった。シティーパンクは、モルガン財閥の中枢金融機関であり、全米最大の銀行である。これをモスクワ現地で動かす頭取は、ハンガリー貴族の末裔と見ら隷れるミルィェンコ・ホルヴァートであった。ロシア革命以来七七年ぶりに、巨頭モルガンが”寒いモスクワ〃に戻ってきたのだ。クリントン大統領がエリッィン大統領に九億ドルの資金援助を約束した翌日の出来事である。

一方、ロシア革命が起こったときに身の危険を感じ、国外に亡命した帝政貴族たちは、ほとんど殺されることもなく、革命直後の混乱期に巨大な財産を持ち出して、ヨーロッパやアメリカに渡っていった。この史実は忘れられてきたが、今日きわめて重要な意味を持ってきた。