「戦争と戦争のうわさ」 by エレミヤ

                  告:

 

キリスト教会を殲滅するための戦争がアメリカ主導で計画されている。

 

 

本日は、「戦争と戦争のうわさ」として、このことを見ていきたい。

 

<戦争と戦争のうわさは終末のしるし>

 

マタイ24章は主ご自身が語られた終末預言として有名である。その中で、主は終末のあらゆるできごとにさきがけて戦争と戦争のうわさが必ず起きることを述べられた。以下の通りである。

 

マタイ24:6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

 

このようにこのこと、戦争と戦争のうわさは、終末の日を見分けるポイントである。そのようなわけで、終末のあらゆる出来事の中で、「戦争と戦争のうわさ」に何か重要な意味合いがあることが想像できる。一体どのような意味合いがあるのだろうか?

 

2重の預言成就>

 

マタイ24章の預言成就ということを考えるとき、この章に書かれた預言は2重に成就するべく、語られ、預言されていることがわかる。すなわち以下の2種類の成就である。

 

1.    西暦70年のローマによるエルサレムへの攻撃、崩壊。

2.    終末の日におけるエルサレムすなわち教会への攻撃、崩壊。

 

上記1はすでにおきた過去のことであり、2はまだ未来のことである。そして、既に成就した、

AD70年のエルサレム崩壊を学ぶ時、未来の事柄である、終末の日に起きる事柄をある程度類推できることができる。

 

<ローマによる「戦争」は、エルサレム崩壊をもたらした>

 

この「戦争と戦争のうわさ」のことは、まず最初にAD70年のローマによるエルサレム攻撃の日に成就した。イエス・キリストを十字架につけて殺したエルサレムの住民はその後、

ローマがユダヤを攻撃する、エルサレムを占領するとの「戦争と戦争のうわさ」を聞いた。そして、それは、単なるうわさにとどまらず、実際にローマによるエルサレム

攻撃は実現し、その日、キリストを十字架に付けた冒涜の民の首都エルサレムは崩壊し、住民は滅ぼされた。戦争は確かに起きたのである。そして、このことは、終末の日に起きる戦争の型である。

 

AD70年に起きたローマとの戦争により、福音書に書かれた以下の多くの災いが神の民に臨んだ。

 

1.    ローマによる戦争により、宮の崩壊が行われた。(マタイ24:2)

2.    ローマによる戦争により荒らす憎むべきものが聖なる所に立つ(マタイ24:15)

3.    ローマによる戦争によりエルサレムの人々は逃走した。(マタイ24:20)

4.    ローマによる戦争によりエルサレムは軍隊に囲まれる(ルカ21:20)

5.    ローマによる戦争により人々は剣の刃に倒れた(ルカ21:24)

 

従って、この預言の最初の成就の日に、神の民、エルサレムの民に臨んだあらゆる災いは、

ある特定の戦争すなわち、具体的にはローマによる戦争を通してこの民に臨んだことがわかる。決して不特定多数な戦争ではなく、あるはっきりした1種類の戦争を通して、エルサレムは崩壊し民は滅んでいったのである。このことははっきりと理解しなければならない。そして、

このことは終末の日への預言であり、終末の日にも同じパターンが繰り返されると理解できる。

 

 

ローマにより行われた戦争によるエルサレムの崩壊。このことは終末の日の教会崩壊の日の型。

 

<終末の日においても、ある特定の戦争を通して教会は崩壊する>

 

このことは、終末の日においても繰り返され、終末の日のエルサレム、すなわち教会は、ある特定の戦争を通して、崩壊することが想像できる。

 

かつての日、西暦70年にエルサレムが当時の世界帝国ローマによる戦争、攻撃の下で滅んだように、終末の日には、終末の世界帝国、獣の国による戦争、攻撃の下で、エルサレムすなわち現代のキリスト教会が崩壊することが想像できるのである。

 

終末の獣の国とは我々の理解では、アメリカのことである。そのアメリカによる対キリスト教会に対する戦争が終わりの日にしかけられ、結果キリスト教会は敗北を喫するようになると想像できる。その戦争とは飛行機や戦車による戦争ではなく、逆に対教会、対キリスト教への戦争である。この戦争を通してマタイ24章の終末預言は以下の様に成就するようになると思われる。

 

1.    アメリカ主導の戦争により、祈りの宮としての教会の崩壊が行われる。

2.    アメリカ主導による戦争により荒らす憎むべきものが教会の聖なる所に立つようになる

3.    アメリカ主導による戦争によりエルサレム、教会は軍隊に囲まれる

4.    アメリカ主導による戦争により人々は剣の刃に倒れる

 

これらのことを一つ一つ見ていきたい。

 

 

1.アメリカ主導の戦争により、祈りの宮としての教会の崩壊が行われる

 

マタイ24:2 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

 

今アメリカを中心にキリスト教の根本的な教理を覆すための運動が大掛かりにおこなわれている。たとえば、アメリカではオバマ大統領が「同性婚は合法である」と決定した。

一見よいことのようであるが、裏がある。同性婚は、合法である、従って、聖書に基づき、

同性愛に反対するクリスチャンは違法である、犯罪者であるとの論理でクリスチャンの逮捕がアメリカで相次いでいる。

 

みことばに従い、同性愛に反対してデモを行ったクリスチャンは軒並み、逮捕や罰金の刑に処せられている。このような強圧に屈っし、同性愛に妥協的な教会も出現しつつある。

さらに国連主導の世界統一宗教の推進など、キリスト教を破壊、壊滅するための運動やムーブメントには、枚挙にいとまがない。

このようなアメリカによる戦争、攻撃により、エルサレム、教会の宮は崩壊しつつあるのである。

 

信仰に基づき、同性愛カップルのためケーキを焼くことを拒否して、訴えられつつあるMcArthur夫妻

 

2.        アメリカ主導による戦争により荒らす憎むべきものが教会の聖なる所に立つようになる

 

マタイ24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

 

荒らす憎むべき者とは何かというと以下で書かれている反キリストのことである。

 

2テサロニケ2:3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。

 

 2:4 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

 

ここでは、彼が「神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言」すると書かれている。

新約における神の宮とは、教会であり、教会における神の座とは、他でもないキリストの座のことなのである。従って、「荒らす憎むべき者」が、聖なる所に立つ、とは具体的には反キリストが教会のキリストの座を占めるようになる、ということを語っているのである。

 

 

アメリカ主導で反キリストが教会の主となり、キリストの座に座す日が来る

 

 

このような日が教会において実現するとはなかなか考えづらいが、アメリカの周到な計画の中で、このことはいずれ実現するのであろう。具体的にはこれから、イエス・キリストに対するあらゆる非難、個人攻撃、罵詈雑言が許されるようになると理解できる。ダビンチコードのように、キリストの歴史の信憑性に疑問を投げかけるようなムーブメントが次々と起こされるようになるのか。その結果、キリストは嘘つきであり、福音書に書かれたことは真実の歴史ではない、とされ、多くの人がキリストを憎むようになると思われる。以下のことばの通りである。

 

 

マタイ24:9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

 

そして、キリストの評判が地に落ち、インチキであるとの評判が行き渡った暁に、反キリストは登場し、そして、今までキリストが占めていた座を代わりに占めるようになるのだろう。そして、この日こそ、教会が背教する日なのである。

 

 

ダビンチコードのように、キリストへの信頼を崩し、非難するムーブメントが盛んに起きてくる。

 

アメリカ主導による戦争により、エルサレム、教会が崩壊する日には正しい人々は背教の教会から逃れるべきである。

 

マタイ24:20 ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

 

ローマによりエルサレムが崩壊した時、当時のクリスチャンがその都から逃走したように、アメリカ主導で、反キリストの教えが公の教会を席巻し、占領するようになったら、その時、正しくキリストにつく人々は背教の教会から「逃走すべき」であることがここでは書かれている。したがって、その日においては、教会にとどまることにみ心があるのではなく、逆に正しい人々はそのような背教の教会からは逃走し、離脱し、離れ去ることが正しいことを知るべきである。以下のことばもこのこと、背教化した教会から離れ去ることをたとえを通して語っていると理解できる

 

マタイ24:16 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

 

 

24:17 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

 

24:18 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

 

24:19 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

 

 

滅ぼされるソドムを去り、山へ逃げるロト達:終末のクリスチャンも滅ぼされるべき、教会を離れ山へ逃げるべきである

 

 

 

 

 

 

3. アメリカ主導の戦争によりエルサレム、教会は軍隊に囲まれる

 

ルカ21:20  しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。

 

かつての日、エルサレムはローマの軍隊に囲まれた。その軍隊に囲まれた時からほどなくして、エルサレムはその軍隊により滅ぼされた。従って、軍隊に囲まれるなら、エルサレムの滅亡は近いことを悟るのである。

 

同じ意味合いで、これから、アメリカ主導で、キリスト教会が攻撃にさらされるようになる。その教理が攻撃され、キリスト個人が攻撃されるようになる。すなわち、右も左もキリスト教会への攻撃者だらけ、軍隊だらけになり、エルサレム、教会が軍隊に囲まれる日が来るのである。そして、それは、教会滅亡のしるしなのである。

 

今まで教会の教理に寛容だった、世間の目が変わり、逆にキリスト教の教えに忠実な人々は原理主義者(fundamentalist)だとか、大いに批判されるようになる。その日が軍隊に囲まれる日なのだろうか。そして、その日が来るなら、逆に教会が崩壊する日も近いことが想像できる。

 

アメリカは終末の日に全世界を一国支配する世界帝国となるべく、聖書に預言されている。

その邪悪な獣帝国が実現したとき、全世界の教会は軍隊に囲まれ、強制的に

反キリスト的な教理を受入れさせられるようになる。その日こそ、このことば、

エルサレムが軍隊に囲まれる、とのことばが成就する日と理解できる。

 

 

路傍伝道をしたゆえ逮捕されるクリスチャン:アメリカは獣の正体を現し、

キリストへの憎悪を隠さなくなった

 

4. アメリカ主導による戦争により人々は剣の刃に倒れる

 

ルカ21:24  人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。

 

剣というこばには、たとえが使われている。

「また御霊の与えるである、神のことばを受け取りなさい。」エペソ6:17と書いてあるように、剣は神のことばのたとえである。従って、剣の刃に倒れ、とは、みことばに関する偽りの教理に倒されていく、という意味合いと理解できる。具体的には、キリストのみに救いがあるわけではない、仏教にもヒンズー教にもイスラム教にも救いがあるなどとのインチキの教理に倒されていくことをさすのだろうか。

 

「捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ」とのことばも示唆的である。かつての日、エルサレムはバビロンに占領され、その地の住民は、約束の地を引き離され、異邦の地へと連れて行かれた。このことは、たとえであり、終末の日においても、キリスト教会はおかしな教理に倒され、その教会に住むクリスチャンは、約束の地、すなわち、神の約束された御国から離されるようになる、そしてみことばの真理から

ほど遠いあらゆる異邦の教えや、異端まがいの教えに教会が引っ張られていくということが預言されている、と理解できる。

 

<獣の国は聖徒、クリスチャンに対して戦い、戦争をしかける>

 

繰り返すようだが、終末の日の戦争と戦争のうわさとは、不特定多数の戦争のことを語っているのでなく、逆にある特定の国による、エルサレム、キリスト教会への戦い、攻撃をさす。聖書はその国を獣の国と描写する。終末に起きる獣の国主導の戦争に関して黙示録では以下の様に述べられている。

 

黙示録 13:5 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。

13:6 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。

13:7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。

 

この箇所を見ていきたい。

 

黙示録 13:5 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。

 

 

この獣とは、終末の獣の国アメリカのことである。この国に対して、「四十二か月間活動する権威を与えられた。ことが書かれている。42ヶ月間とは、すなわち、3年半の艱難時代のことであり、艱難時代の主役はアメリカであり、また、正しい人々に艱難をもたらすことは、アメリカから起きることがわかる。また、「けがしごとを言う口を与えられ」と書かれている。けがしごととは、神や、神のみことばに逆らうことばである。現在、アメリカは、神にも神のことばにも逆らいつつある。

 

路傍伝道を行うクリスチャンは逮捕され、卒業式の答辞で、自分の信仰を表明することは、

逮捕の脅しの下で、とどめられようとしている。アメリカはまさに

「この方以外に救いはない」と語る聖書のことばに逆らい、けがしことを語っていることがわかるのである。

 

 13:6 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。

 

獣の国が神に対するけがしごとを語り、「神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。」ことが語られている。

したがって、これから、アメリカ主導で神の御名すなわち、キリストの名前に対するあらゆる

攻撃、批判、冒涜が語られるようになるのだろう。また、神の霊を宿す幕屋すなわち、天的なクリスチャンがキリストの名のゆえにアメリカにおいては、ののしられるようになる。

 

すでにアメリカにおいては、キリストの名において祈ることが教会においてさえ、嫌われつつある。「イエス・キリストの名によって祈ります」と結ばれるべき祈りが「全能の至高者の名によって祈ります」などといわれている。イスラム教の神の名だか、はたまたルシフアーの名によって祈っているのだかわからないような祈りが奨励されている。そしてキリストの名が忌避されつつあるのである。さらにこれから、キリスト個人に関する信仰、信頼、評判を崩すような偽りがアメリカ主導で世界に広がっていくのだろう。さらに、「その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。」ということも、アメリカにおいて盛んに行われており、正しいクリスチャンはこの国において非難されつつある。公共の場所で祈ったからといっては正しいクリスチャンが逮捕され、道端で福音を伝えたといっては正しいクリスチャンが逮捕されつつある。

 

 13:7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。

 

ここでは、彼すなわち、獣の国アメリカが聖徒すなわち、教会やら、クリスチャンに打ち勝つことが許されることが書かれている。したがって、アメリカ主導の「戦争」に対して残念ながら、世界のキリスト教会は勝利を得られず、いずれ敗北していくようになるのである。何故敗北するのか?それは、教会の背教のゆえである。また、「あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。」ことも描かれている。ゆえに、全世界のキリスト教会はいずれ冒涜的なアメリカの支配の下に入るようになる。全世界においてである。例外はない。以下の様に書かれている。

 

黙示録 3:10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

 

この日こそ、背教の日であり、艱難時代の到来なのである。

 

 

福音のために逮捕されるアメリカのクリスチャン


 

 

<ダニエル9章が語る教会が崩壊する日>

 

教会が戦いに敗れ、崩壊する日はダニエル9章にも預言されている。このことを

見ていきたい。

 

ダニエル9:24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。

 

 9:25 それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。

 

 9:26 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。

 

 9:27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」

 

これらの節を順に見る。

 

 

ダニエル9:24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。

 

神の民と聖なる都に関して、神の前に70週が定められている。その70週の理由は、「そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。」

すなわち、神の忍耐の日が70週あるわけである。70週は原語では、70の7と

きされており、それは、兄弟を許す回数(7度を70倍)に通じる。神の忍耐の期間なのである。

 

 

 9:25 それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。

 

 

かつてのソロモンの神殿は崩壊し、エルサレムの門は火で焼かれてしまった。それは、

ユダの背信のゆえである。しかし、その後、神がこの都を顧みられ、引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令」が出た。そして、神のあわれみのゆえ、油注がれたもの、君主であるキリストが来臨した。また、再び、広場とほりが立て直された。再建がなったのである。

 

 

 9:26 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。

 

 

さて、このようにして、神のあわれみにより、油注がれたもの、メシヤは、神の民に送られ、

神の民は回復に向かうはずだったのだが、事態は思いもかけない冒涜の方向に向かった。

神の遣わされた油注がれた者キリストは、民により、拒絶され、罪に定められ、十字架につけられ、

命が絶たれたのである。この決定的な罪により、旧約の神の民は、神のすさまじい怒りをかうことになり、

彼らの運命は一変した。

 

 

メシヤ、キリストは冒涜の神の民により、非難され、逮捕され、十字架につけられた。

その罪のゆえにローマの君主により、エルサレムは破壊された。

このことは、終末の日のエルサレム、教会崩壊が起きる理由を説明する。

それは、新約の神の民の冒涜のゆえである。

 

やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。

 

来るべき君主、ローマ軍により、町であるエルサレムとその聖所、神の神殿を破壊した。

キリストの十字架から40年後、西暦70年のことである。

 

その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。

 

エルサレムの都が滅びるまで、戦いが続くこと最後には荒廃して終わることは神により、定められている。

その理由は他でもない神が遣わされたひとり子を捕まえて殺したからである。

 

 

 

油そそがれた者は断たれ、

 

さて、この70週の預言は、しかし、2重の預言であることを思い出したい。すなわち、

この預言は主の初降臨のとき成就し、再臨のとき、再度成就するのである。

1度目は旧約の神の民の冒涜への報復として成就し、2度目は新約の神の民の冒涜への

報復として成就するようになる。

 

従って、このことば、「油そそがれた者は断たれ」とのことばは、

新約の終わりにも成就する。具体的には新約の教会は冒涜的になり、

悪霊を受入れ、聖霊を追い出すようになるのである。

 

以下のことばのとおりである。

 

2テサロニケ 2:6 あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。

 

 2:7 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。

 

ここでは、反キリストの到来を引き止めている聖霊が取り除かれる日に関して書かれている。

 

すなわち、油である聖霊が断たれ、追い出されるのである。

 

 

 

反キリストをとどめていた聖霊は背教の教会から追放され、追い出される。

 

 

やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。

 

聖霊が追い出された結果、このことばも終末の冒涜の教会に成就するようになる。

来るべき君主が、キリストの代わりに教会の王となり、町と聖所、すなわち、神への

礼拝所としての教会を破壊し、教会ならぬものへと変質させるのである。

 

 

 

 9:27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」

 

 

さて、このことばは、終末の日において成就する。

1週の契約とは7年の中東和平条約などでは、決してない。

ここで遣われている契約ということばは、以下でも使われている。

 

創世記17:9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、

代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。

 

ここでは、アブラハムと神との永遠の契約について語られている。

すなわち、この契約ということばは、神とアブラハムとの間の永遠の命や、後の世における受け継ぐべき御国に関する契約に関して使われることばなのである。

そして、もう一つのことがある。それは、アブラハムという特別な人物に関してである。

アブラハムはすべてのイスラエル人の先祖だということを思い起こしたい。それのみでなく、新約のイスラエルであるクリスチャンの先祖でもある。

 

これらのことを知るとき、ここで、使われている契約ということばの深刻さ、重要な意味合いが理解できる。

それは、すなわち、クリスチャンと神との間に結ばれた永遠の命に関する契約や入るべき御国に関わる事柄なのである。

 

アブラハムは神と契約を結び、永遠の都に入る約束を与えられた。一方、

反キリストとの契約はクリスチャンと神との永遠の命の契約を破り、破壊し、背教クリスチャンを

滅びの火に投げ込むために用いられる

 

彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、

 

獣の国や反キリストが結ぶ多くの者との契約とはすなわち、クリスチャンとの間の契約なのである。

そして、この契約、を結ぶクリスチャンは神との契約が破棄され、永遠の命を受けることはなく、御国にはいることもない。

 

半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。

 

 

獣の国や、反キリストのせいで、教会において半週すなわち、3年半の間、神へのいけにえとささげものとが中止されるいけにえやささげものは、たとえであり、新約においては、教会で神にささげられる

みことばに基づくメッセージや、聖霊の働きをさすと理解できる。すなわち、キリストにこそ、真の救いがある、などとのメッセージは廃止される。

また、聖霊の働きはとどめられ、聖霊に基づいて奉仕をするクリスチャンはもう公の教会における奉仕に立てなくなる。結果、御霊の働きは教会から消える。

 

 

<結論>

 

これらの警告に関連してそれでは、我々はどう対応すればよいのか?

なすべきことは明確である。それは、背教の教会から、

距離をおき、離れ、その災いや滅亡に巻き込まれないことである。

かつての日、AD70年のエルサレムへの戦争、攻撃の日においては、キリストの警告に従い、

都を離れ、山に逃げたクリスチャンは自らの命を救った。

彼らは背教の都、キリストを十字架につけた、都エルサレムとともに

滅びなかったのである。また、宮の崩壊とともに滅びなかったのである。

これは、終末の日、背教の教会への戦争の日、滅びの日においても同じである。

その日、都に留まり、教会にとどまるものは、反キリストと契約を結び、神のとの

永遠の契約は破棄される。永遠の命を失うのである。

背教の教会を離れ、仮庵にとどまるものにみこころがある。

 

 

仮庵を作る:終末の日には滅ぼされるべき背教の教会にとどまることではなく、

仮庵(地下教会)を作り、そこにとどまることにポイントがある。

 

―以上―

 

仮庵の祭りに関する学び、
終末に関する学びは以下へ:

エレミヤの部屋

レムナントキリスト教会

 

 

 

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