S7 信じてバプテスマを受ける

教会には人がキリストを信じ、クリスチャンになる時に、儀式というか、行事というか、しきたりというか、洗礼(バプテスマ)という儀式があります。

このことの意味をお知らせします。
人がキリストを信じたあと、何故バプテスマを受けるべきなのか?
単純そして明確な理由はキリストがそう命じているからです。
以下のことばを見てください。

マルコ 16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。

ここでイエスは、「信じてバプテスマを受ける者は、救われます」と語りました。
単に信じることだけでなく、信じてバプテスマを受けるものは救われることを述べたのです。ですので誰でもキリストを信じ、自分の罪が許され、死後の裁判の時に罪や罰、火の池の罰を逃れたいと、救われたいと願うものは誰でもバプテスマをもうけるべきなのです。

このようなイエスのことばに対して従順に従い、信じ、バプテスマを受ける人々を私たちは聖書の中で何人も見ます。以下の通りです。

使徒2:40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。

2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

使徒 8:12 しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。

8:13 シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行なわれるのを見て、驚いていた。

使徒:8:36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」

8:38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。

使徒:16:14 テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。

16:15 そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。

具体的にはバプテスマとは水に浸ることであり、川や海、またプールまた、
教会で洗礼設備があるところなどで受けられます。教会に申し出れば、用意をしてくれるでしょう。

基本的には我々はキリストを信じれば、救われるのですが、しかし、
聖書で命じている以上、バプテスマを受けることは大事です。
それは、たとえていえば、私の主観ですが、結婚と結婚式の関係のようなものでしょうか。


結婚は婚姻届を出せばよい、結婚式などわざわざ開く必要がない、という考えもあるかもしれませんが、やはり、人前ではっきりと結婚式を開き、誰に対しても結婚を宣言することは大事です。バプテスマも神の前の儀式ではありますが、しかし、この世や、周りの人に自分がキリストを信じた、と公に宣言する意味合いもありますので、正しく行なう、また、信じたならすみやかに行うことを求めましょう。次のステップ

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