S5 教会は神の家族

私たちがキリストを信じたあと、教会、ということばを聞きます。
教会とは、キリストを信じたクリスチャンが集まる集会、集まりのことをさします。人間が集まることを意味しており、必ずしも会堂とか物質的なものをさすわけではありません。建物としても会堂があるに越したことはありませんが、でも事情で、教会堂を建てる予算がなくて、信者だけが場所を借りて集まっていてもそこに
何人かのクリスチャンがいれば、立派な教会です。キリストはその中にキリストご自身が存在していると語りました。

マタイ 18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

ですので、ふたりでも三人でもキリストの名前で集まるなら、それは立派な教会であり、キリストも存在しておられ、その祈りを聞いてくださるのです。

また、教会には霊の父、母、兄弟、姉妹が集まるいわば家族のようなものであることを
キリストは語られています。

マタイ12:46 イエスがまだ群衆に話しておられるときに、イエスの母と兄弟たちが、イエスに何か話そうとして、外に立っていた。

12:47 すると、だれかが言った。「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」

12:48 しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」

12:49 それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。

12:50 天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

ここでキリストが語られているように、肉親の親や兄弟より、
むしろ、神を信じて天の父のみこころを行う教会の信者こそが、
真の父母、兄弟姉妹なのです。そういう意味では教会に通うとは、
神にある家族や信仰の父母、兄弟姉妹の関係を持つということなのです。

そして、私たちは生まれたばかりの赤ん坊が自活できず父母や兄姉の助けを受けるように、教会、神の家族のもとに属し、そこで必要な霊の糧を受け、また
一人の信仰の子供として、必要な訓練や、マナーや、学びを受けるべきです。
そのために神は神の家族としての教会を用意し、我々を成長させ、備えようとしておられるからです。

ヘブル 10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。

10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

ただ、クリスチャンによっては独立独歩の気風だか、教会を批判したり、自分はそんなところへ通わなくても一人でやっていけると誤解する人もいます。しかし、上記ことばのように、「いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合」うことが大事です。


また、「かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」というように、世の終わりの日が近づいてくるに従ってますますこのことは大事なのです。


今はインターネットの時代ですから、ネットを通して自分にあった教会を探すことも見つけやすい時代となっています。蛇足ながら、私たちのところも小さな教会を開いて少しでも意思のある人の助けになれば、と願っています。どうぞ、ご自分にあった教会が与えられ、そこに属することができるよう神に祈り求めてください。次のステップ

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