S3 助け主である聖霊

日は神の霊である聖霊に関してみていきましょう。以下の箇所で、
イエスは神の霊、聖霊について語りました。

ヨハネ14章 16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。

14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。

14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

この箇所を順に見ていきましょう。

ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

ここでは、もう一人の助けぬしについて語っています。
この助けぬしとは、人がキリストを信じたあと、与えられる聖霊のことです。
ですので、これを読む人が、すでにキリストを信じているなら、その結果、新しく生まれ、聖霊を受けているので、その人にはこれらの記述が理解できるでしょう。


たとえそれが、ほんの数日前のことでもその人がキリストを信じ、新しく生まれたなら、これらのことを理解できます。

しかし、たとえ、長年聖書を読んでいたとしてもその人が
キリストを信じず、新しく生まれていないなら、これらの記述は絵空事、自分と無関係、何の接点もない話でおわることになります。この聖霊をさしてイエスはもう一人の助けぬしと呼びます。そのように呼ぶことにより、我々に対してこの方についていくつか語ることがあるのです。

一つは「もう一人の」助けぬしという表現です。
このように表現することにより、それ以外の助けぬし、もとの助けぬしに関して
聖書は語ります。この聖霊以外の助け主は誰か?というと結論をいえば、それはイエスキリストのことです。イエスキリストがその公生涯で行ったことはまさに人への助け主としての行いです。イエスは盲人をいやし、目が見えるようにし、耳の聞こえない人を聞こるようにし、足なえ、手がなえた人をいやしました。また、死人をも生き返らせ、
福音を伝え、我々が歩むべき道を語りました。かれこそ助けぬしであり、我々を助けてくれたかたなのです。

聖霊という方は目に見えない霊なのですが、しかし、その働きは、
「もう一人の助けぬし」という表現で理解できます。要するに、イエスがそうであったように、我々の身近に存在し、そして我々を助けてくださる神の霊、それがもう一人の助けぬしである聖霊の働きなのです。

キリストを信じた人々は誰でもそのような助け主の霊、聖霊が与えられ、人生の
歩みの中で助けられるのです。

14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

ここで、「その方は、真理の御霊です。」として、その助けぬしとは、御霊すなわち、神の霊である聖霊のことであることが語られています。また、「真理」の御霊として、その霊は真理であることが語られています。真理とはあまり日常では使われないことばかもしれませんが、意味合いは本物である、という意味です。世の中にはあらゆる間違いやら、誤り、混乱、誤解があります。しかし、聖霊は神の霊であり、私たちに真理、聖書の神からの真理を語り、教えてくださる方であることが語られているのです。

「世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。」

しかし、不思議なことなのですが、その大事な聖霊に関してこの世はまったく完全というほど、知らず、また、存在を考えもしません。「世はその方を見もせず、知りもしないからです。」とは事実であり、この世においてこの神の霊、聖霊に関して、誰も見たこともなく、また完全に何の知識もなく、知りません。このことは不思議です。聖霊の存在は、まさにクリスチャンにとり、もっとも根幹的な部分、明白な事実、土台なのですが、その存在はこの世にとっては、まったく知られず、透明人間みたいな存在なのです。

「しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」

しかし、我々クリスチャンにとり、聖霊は必須の存在であり、根幹的な存在です。また、クリスチャンはその歩みの中で、聖霊に関して知り、またよく知るようになります。
また、「その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」と書かれているように、聖霊は我々とともに住み、あたかも我々のうちに存在しているかのような方であり、我々は耳をすませば、その霊の声をききます。

14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

キリストが我々クリスチャンを捨てて孤児にしない、というとき、また「わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」というとき、それは再臨のことではありません。
そうではなく、聖霊として、霊として戻ってくるキリストという意味合いです。

14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。

このことばが語られたのは、キリストの最後の晩餐、明日の日には、キリストは十字架につけられ、人としてのイエスは世から去る、という日の事です。
ですので、イエスは、「いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。」と語ったのです。この世の人にとって、イエスとはその肉体がなくなれば、もう存在しないものなのです。

「しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」

しかし、信じた人々は、キリストの霊である聖霊に触れ、見ます。そしてキリストの霊である聖霊が我々のうちに生きるので、我々も生きるのです。

14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。

その日、我々が聖霊を受けた日、キリストの霊が我々のうちにおられることが実感してわかるようになります。

14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

聖霊の一つの働きはキリストのことば、聖書のことばをその時々、必要なタイミングで、思い起こさせてくださることです。また、世の中には、多くの難問、トラブルがありますが、しかし、聖霊は我々に必要な対処法、歩みにとり大事なことをその時々に教えてくださいます。

14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

聖霊の一つの特徴は私たちに平安を与えてくださることです。
それは、世の平安とは異なります。神からの平安、助けです。

さて、このように、聖書は人がキリストを信じ、そのあとに与えられる聖霊のことについて語ります。クリスチャン人生とは、この聖霊が与えられて初めてまともに動き出し、稼動するものです。決して自分の足りない能力やら、がんばりで無理をしておくるものではありません。

そのようなわけで、キリストを信じ、その結果聖霊が与えられるということはクリスチャン人生の基本の基本なのです。もし、まだ、この聖霊が与えられていないなら、信じてもいないなら、まだクリスチャンとしてはスタートにも立ってもいません。まずそのこと、信じて聖霊が与えられることを神に求めることが最初に大事なことです。このことを知りましょう。次のステップへ

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