K5 聖書と科学

この項では、聖書と科学という面を見て行きたいと思います。

聖書は科学的な真理を語っている、というと

多くの人は怪訝なまた、懐疑的な顔をします。

「聖書なんてどうせ、非科学的な記述や神話や、フィクションに満ちた

昔の本に過ぎない」そんな風に思っている人も多いかもしれません。

果たして聖書は現代の科学と比較して信頼するに足る本なのでしょうか?

このことを見ていきたい、と思うのです。

何かが真実であるかを見るとき、たとえば、聖書が真理を語っているかどうかを考え、判断する時には、その根拠やら、証拠を考えることが賢明です。我々はその考えに基づき、見ていきたいと思います。

初めから結論をいうのは、恐縮ですが、しかし端的にいうなら、聖書は決して通常の本ではありません。

聖書は科学者がそれを「発見する」何千年も前に多くの科学的事実や医学的事実を明らかにしています。Hank Hanegraffはかつてこう語りました。「キリストへの信仰とは、何か暗い断崖へ、盲目的に飛び込む、ということではない、そうでなく、確立された証拠に基づく信仰をさすものである。」

そうです、聖書に基づき、神を信じる、ということは、決して知性や理性を沈黙させることではないのです。

<宇宙の創造>

宇宙にはその始まりがあることを科学者は最近知りました。その

宇宙の始まりをビッグバンといいます。

それまでは恒常宇宙論、すなわち宇宙には始めも終わりもないのではないか、と多くの人が考えていました。また、仏典にも宇宙は「無始無終」、すなわち始めもなく、終わりがないことが述べられています。

しかし、事実は宇宙は風船の様にどんどん膨らんでいくものであり、

そのはじめのとき、風船が膨らみ始めた初め、宇宙の始めがあることがわかってきたのです。

さて、聖書は3000年以上も前から、宇宙には初めがあることを明言しています。聖書のまさに初めのページ、創世記の初めの記述で以下の様に神が

宇宙を創造した、すなわち、宇宙にはその初めがあったことが明言されています。

”創世記 1:1 初めに、神が天と地を創造した。”

 1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。”

科学者がやっと最近になって理解しだしたこと、宇宙は決して無始無終ではなく、逆に宇宙にはその初め、開始のときがあったことを聖書は初めから明言していたのです。

また、科学者は宇宙を5つの用語で述べます。時間、空間、物質、力、動作です。聖書、紀元前1450年に書かれたヘブル語の創世記の

1章、1節、2節にはそのような真理が述べられています。

すなわち、「初めに」(時間)、 「神が..創造した」(力)、 「天」(空間)、 「地」(物質)、「動いていた」(動作)です。

聖書のはじめの書である創世記、その冒頭のこの部分で神が語られているのは、

神ご自身がこの宇宙の全てをコントロールされている、ということです。

宇宙のビッグバン

<世界は見えないものからできている>

科学は最近になって、全ての物質は、目に見えない

原子からできていることを発見しました。2000年ほど前に書かれた

聖書へブル書は、「見えるものが目に見えるものからできたのではないこと」を述べています。

へブル11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。”

見える物質は見えない原子からできている

<宇宙は広がっている>

最近になって科学者は宇宙が拡張しているもしくは、広がりつつあることを理解するようになりました。

さて、それは聖書も述べていることなのです。聖書の中には、神が天を幕の様に広げる、と述べた記述が9つもあるのです。たとえば、以下です。

詩篇104:2 あなたは光を衣のように着、天を、幕のように広げておられます。”

詩篇は3000年も前の記述です。

宇宙は広がり、拡大している

<地球が宇宙に浮かんでいること>

地球が宇宙に浮かんだ星であることは、今ではみな知っていますが、

しかし、昔からそうだったわけではありません。昔の人はこの大地は、

大きな亀の上に乗っている、巨人が支えているなどと信じていたのです。(BC1500年頃)

しかし、聖書はこの地球が宇宙にぽっかりと浮かんでいることを述べています。

「ヨブ 26:7 彼は北の天を空間に張り、/地を何もない所に掛けられる。」

今から3000年以上前のヨブ記に地すなわち、地球が何もないところ、すなわち、宇宙の空間にかけられる、浮かんでいることが述べられているのです。

さらに今から2700年ほど前の預言者イザヤは地球が球体であることを述べています。

 ”イザヤ 40:22 主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られる。主は天を幕のようにひろげ、これを住むべき天幕のように張り、”

この地球が球体であることをこの世の科学が知ったのは、このイザヤから

2400年も後のことです。この聖書のことばは、アメリカを発見した

コロンブスと関係があります。まだ、世間の人々は地球が平坦であると信じていた時代に彼はこのことばから、地球が球体であることを悟り、新天地をめざし、航海を始めたのです。

<地球の自転>

地球の自転に関してはどうでしょうか?

長い間、科学者は宇宙に関して天動説的な視点をもっていました。

夜と昼との違いは、太陽が地球を回っているからだと思っていたのです。

現在の我々は太陽の昇り、下りは、地球が自転するためであることを知っています。しかし、4000年以上も前にこの地球の自転は聖書の記述に書かれています。

ヨブ38:12 あなたが生まれてこのかた、朝に対して命令を下し、暁に対してその所をさし示し、

 38:13 これに地の果て果てをつかまえさせ、悪者をそこから振り落とさせたことがあるか。

 38:14 地は刻印を押された粘土のように変わり、衣服のように色づけられる。

ここでは、「地は刻印を押された粘土のように変わり、衣服のように色づけられる。」として、地球があたかもろくろによって回される陶器の粘土の様に回転し、自転すること、そして

その自転にともない、回る地球が太陽の光により、色がつき、変化していく様が描かれています。

また、「悪者をそこから振り落とさせたことがあるか」として、猛スピードで回転する地球から、振り落とされる、という表現が使われています。

自転する地球

<太陽は軌道を走っている>

太陽の軌道について聖書詩篇は以下の様に述べています。

詩篇 19:5 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。

 19:6 その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。”

聖書を批判する人々はこの聖書の記述を長い間、あざ笑っていました。

彼らは、太陽は太陽系の中心として留まっており、決して動くことなど

ない、と考えていたからです。

しかし、最近、この太陽が実際は宇宙の中を走り、動いており

宇宙を600,000マイル/時の速さで移動していることが判明しました。

太陽はそれこそ、聖書の言う「走路=軌道」に沿って、宇宙を旅しているのです。その走路=軌道は長く、一周するのに2億年もかかる長いものです。

<エントロピーの法則>

聖書の3箇所において、地球がすり減る(古くなる)ことが述べられています。

(イザヤ51:6, 詩篇102:25,26, ヘブル書1:11)

 ”イザヤ51:6 目を天に上げよ。また下の地を見よ。天は煙のように散りうせ、地も衣のように古びて、その上に住む者は、ぶよのように死ぬ。しかし、わたしの救いはとこしえに続き、わたしの義はくじけないからだ。”

ここでは、「天は煙のように散りうせ、地も衣のように古びて」として、

天である宇宙や、地球も散りうせ、古びる日がくることを述べているのです。

これは科学的に正しいのでしょうか?

実は、これは、すなわち、科学のエントロピーの法則が述べていることでもあります。

「全ての物理的なプロセスにおいて、全ての秩序だったシステムは

時を経るにしたがって、さらに無秩序になる。全てのものは、

使用できるエネルギーが少なくなるので、落ちていき、古びていく」

すなわち、宇宙は最終的には古び、朽ちていきます。それは(理論的には)

熱が死滅していき、最後には、使用できるエネルギーがなくなってしまうからです。

この法則は人類により、非常に最近になって発見された法則です。

しかし、聖書は2700年も前のイザヤのときからこのことを述べていたのです。

<光とことば>

神は紀元前1500年前のヨブ記で、以下の様に語ります。

”ヨブ38:35 あなたはいなずまを向こうに行かせ、「私たちはここです。」とあなたに言わせることができるか。”

ここでは、いなずま、すなわち、光が遣わされ、そして光がことばを

発して、自分を明らかにすることを述べています。このことは科学的には

ばかげているように思えます。

しかし、実はラジオ電波は光と同じ速度で飛ぶのです。

だからこそ、地球の反対側の人とも即座に無線通信ができるのです。

現代の科学はこのことを1864年にイギリスの科学者 ジェームスクラークマクスウェルが「電波と光とは同じものの2つの形である」ことを暗示するまで知りませんでした。

人の会話や音声を運ぶ電波は実は光の別形態である、このような、人類が近代になって知るようになった知識を聖書は以前から述べていたのです。

光と電波

<星は歌を歌う>

科学者は星がラジオ電波を発していることを発見しました。

それは、地球に高ピッチのラジオ電波として届きます。ラジオ電波なので、その

音を聞くこともできるわけです。

聖書ヨブ記はこのことを述べ、星が歌を歌うと表現しています。

ヨブ38:7 かの時には明けの星は相共に歌い、/神の子たちはみな喜び呼ばわった。”

星は電波を発する

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これらの驚くべき聖書の記述をみて私たちはどう思うでしょうか?

誰もこの聖書の超自然的な起源、記述を否定できないのではないでしょうか?

この様な 聖書の性格、すなわち、正しい科学的な記述、真理に満ちた書との

性格は世界のどの宗教の経典にも見られないものです。すなわち、インドのベーダ、イスラムのコーラン、仏典などには存在しないものなのです。

実際問題、これらの経典たとえば、法華経などはあらゆる非科学的な、荒唐無稽な記述に満ちています。その中でひとり聖書は異なります。神は聖書を通して、世の中には多くの神々、宗教が存在するが、しかし、真の神はたったおひとりであることを明らかに語っているのです。 次のステップへ

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