K4 科学者と聖書

科学の重要な分野を開拓した過去

の偉大な科学者のほとんどは、創造論者であるといわれています。

創造論者とは、聖書に書かれた神が宇宙を創造したと

信じる人々のことです。無神論や進化論を信じている人々ではありません。

以下がその神を信じる科学者の例です:

物理学: ニュートン、ファラデー、マクスウエル、ケルビン

化学: ボイル、ダルトン、パスカル、ラムゼイ

生物学: Ray, Linnaeus, メンデル、パスツール

地学: Steno, woodward, Brewster, Agassiz

宇宙学: ケプラー、ガリレオ、ハーシェル, Maunder

これらの名前は、近代科学の中心をになった人々であり、それはそのまま

近代科学の代名詞であるともいえる代表的な人々です。

そして上記の人々は、進化論者、無神論者というよりは、創造論者であり、神の存在を信じる人々だったのです。このような科学者の名前は他にも

多数挙げることができます。

彼らにとり科学に従事するということは、神からの召し、仕えることであり、

そして彼らは神の考えに従って科学的な真理を見出すことに自分の人生をささげたのです。

ケプラーは語っています。「外部の世界を調査することの主なる目的は

神によって創られた(世界の)理性的な秩序と調和を発見することにある

ケプラー自身は彼自身が描いていた自分の人生のプランを捨てて

敬虔に神の導きに従った人なのです。

その結果、彼は人生の終わりにこのように述べることができるようになりました。

「私は神学者になるつもりだった、しかし、今私は自分の努力を通して、神がいかに、宇宙を通して神の栄光をあらわすかを見るようになった。聖書が

天は神の栄光をあらわす”と語っているように。」

物理学でノーベル賞を受賞したアーサー H コンプトンは、こう語っています。

科学は、自然界における神の目的を垣間見ることである。驚くべき

原子世界がまさに存在していること、神が存在していること、全てのものの

知性的な目的..秩序ある宇宙はかつて述べられた偉大なことばを証言する、

すなわち聖書の”初めに神が天と地とを創造した”とのことばである。」

偉大な科学者の多くは創造における神の手を明白に見ています。

以下の彼らのことばを見てください:

* ロード・ケルビン: 

命、科学の源をいうなら、…確かに創造の力を肯定する

ことになる。

* ルイス・ パスツール: 

自然に関して研究すればするほど、私は創造者の働きに驚嘆するようになる。

* サー・イサク・ニュートン: 

「全ての物質は上記の硬い、固形の要素からできている、それは最初の創造のとき、知性ある存在により、各種結合した。これらを創造された方がこれらの物質を順序良く整えたのである。そしてもし、神がそうされたというなら、

世界の創造に関してそれ以外の方法を考えたり、または自然の単なる法則にしたがって、混乱の中から生まれたと考えることは悟りのないことである。

* アルバート・アインシュタイン: 

科学は真理と悟りへの情熱に深く浸透している

人々のみにより作られる。この感覚の源は、しかしながら、宗教の領域から

生み出される、世界の存在には有効な規則があるとの可能性も、信仰に属することがらであるが、また理性的、すなわち理性で感知できることがらである。

私にはこの種の深遠な信仰を持たない真の科学者の存在を考えることはできない。

ケルビンは、こう語っています。

もし我々が自然の本を正しく読むつもりなら、神の特別な啓示をメガネとしてつけるべきである。神の創造に関する啓示である。

残念なことに科学の初めから今に至るまでの間に、多くの科学者はこのメガネを捨て去り、多くの歪みが生じた。」

多くの人がいうように、宗教と科学とはお互いに矛盾しあっているわけではありません。実際は真の科学者は神のことばの真理に根ざしているのです。

イギリスの天文学者で、500の星を発見したサー ジョン フェデリック ハーシェルは述べています。

「全ての人類の発見は、神による聖書で語られている真理をさらにさらに強く確証するためだけの目的でなされるかのように見える。」

彼の父であり、天文学者として有名な サー ウイリアム ハーシェルも

不敬虔(神を認めない)な天文学者とは、狂人に違いない」と述べています。

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ニュートン

<月、太陽は季節、年、日の区分のため>

聖書の中でのまた一つの科学的な記述は、創世記の以下の記述です。

創世記 1:14 ついで神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。

ここでは、光るものすなわち、太陽や月が、昼、夜の区分のため、さらに

季節、日、年の区分のために用いられることが描かれているのです。

天文学の知識の上に我々は今、1年とは地球が太陽を回るのに必要とされる

期間であること、季節とは地球が太陽との関係における位置により生じること、を知っています。

「天文学者は地球の太陽に対する位置により、一つの季節が終わり、

次の季節に移ったことを述べることができます。」

(ワールドブックマルチメデイア百科事典)

今我々は、一ヶ月とは、月が地球を回る一周にかかる時間であることを知っています。しかし、創世記を書いたモーセがなぜ、3500年も前にこのようなことを知ることができたでしょうか?

どうして彼が光るものである太陽や月が実際に季節や、日、年を決める要素であることなどを知ることができたでしょうか?聖書が神により霊感された本でなければありえないことなのです。

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