履物を脱ぐ風習と足を洗う風習


   欧米人も中国人も履物をはいたまま家にあがるが、日本人は脱いであがる。この習慣には必ず
   昔からの由来するものがあるはずである。
ユダヤ人にも日本人のように、履物を脱いで家にあがる風習があるが、野原などで神拝のとき
にも履物を脱ぐのである。ユダヤ人はこれは神の命令であるとして堅く守る。ユダヤ教の開祖モ
ーセがホレプ山において神に合った時の様子が、出エジプト記三章に「神いいたまいけるは、こ
こに近よるなかれ。汝の足より履物を脱ぐべし。

汝が立つ所は聖き地なればなリ」とある。履物
を脱ぐということは家屋の清潔を保つためであリ、更には長者に対する謙遜の意味でもあった。
ダビデ王がかつて敵の計略に陥ったとき、神に祈るため、履物を脱ぎ裸足でオリーブ山に登ったこと
があリ、サムエル記下十五章に「ここにダビデオリーブ山の路を登りしが、登るときになげきその頭
をつつみて、裸足にて行けり」とある。わが国の天皇祭にも天皇が素足になられる儀式がある。
 交通機関が発達して今は殆ど廃れたが、わが国には維新当時まで、長く歩いた人が自分の家ま
たは訪問した家にあがる前に、タライに水か湯を汲んで差し出し、それで足を洗う習慣があった。
タライに水を汲んで差し出すときに目上の人であればその家の主人かまたは主婦が客の足を洗い、
目下の人であればその家の使用人が客の足を洗ったのである。

 足を洗って家にあがる風習は、日本人独特のものであり他より伝習したものでないことは、
『日本書記』神代巻天孫の条に見られる。「天孫を仰ぎ見てやがて入りてその王に申さく。我が王
のみ絶れて麗わしと思えるに、
此の一客を見ればまた遥かに断れましぬ。海神聞きて、
さらば試みんといいて、やがて三ツの床を設けて入れまつりき。ここに天孫、辺床(家の上り口)にして
は両足を洗い拭い、中床にしては両手を拠し、内床にしては真床襖の上にうちあぐみ給いき。海
神これを見て、こは天神の孫と知りてぞ、ますます敬いまつりける」。即ち天孫は玄関の上り口
で御足を洗い拭って上リ、書院では御手を洗い座敷に通って座布団の上に座したのである。これ
は純粋な日本の風俗である。

ユダヤ人にも足を洗う習慣があった。創世記十九章に「頭を地にさげて言いけるは、我主よ
請う、僕の家に臨み、足を洗いて宿リ、夙に起きて途に進みたまえ」、同書二十四章に「是にお
いてその人は家に入りぬ。ラバン乃ち水をあたえてその人の足とその従者の足を洗わしめ、かく
して彼の前に食を供え」、同書四十三章に「かくてこの人々をヨセフの家に導き、水をあたえて
その足を洗わしめ、またそのロバに飼草をあたう」とある。

土師記十九章には「彼等即ち足を洗
い飲食し」とある。客に水を与え足を洗うことは普通しもべのつとめであったことは、サムエル記
上二十五章に載っている。「アビガル地に伏し拝していいけるは、見よ婦は吾主の僕等の足を洗
うつかえめ
仕女なリ」。

 また人の足を洗うことは僕婦のなすべき賎しいつとめであるので、キリストは弟子に謙遜であ
ること常に人の足を洗うもののようであれ、と教えた。また自ら例を示して弟子の足を洗い、新
約聖書のヨハネ伝十三章には 「上衣をぬぎ、手拭を取って腰にまとい、而してタライに水を入れ、
弟子達の足を洗い、その束いたる手拭にて拭きはじめ、遂にペテロに及ぶ」とある。わが天孫が
足を洗って拭かれたのと同一の風習がユダヤにあったことの証明はこれで充分であろう。
 
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