挨拶の仕方

 挨拶の仕方は国々によって異なり、合掌するもの、握手するもの、挙手するもの、その他千差
万別である。ところがユダヤ人と日本人の挨拶の仕方は非常によく似ている。わが国の挨拶の仕
方はいうまでもなく、頭を下げ身を少し前に屈めるやり方である。昔は貴人に対するときには、

脆坐低頭平身を礼とした。『三国史志魏書』 に日本の風俗を記して
 
「下戸大人と道路に相逢えば
俊巡入草辞を伝え事を説きあるいは離しあるいは卸し両手地に拠りて恭敬をなす」とある。
古代ユダヤ人も、
日本人のように身を屈めて挨拶をする。長者と合うときには平伏すの礼をした
と伝わっている。「ヤコブが兄のエサウに逢ったとき七度地に伏して礼せり」 (創世記三十三章)。
君主または高位の貴族の前に出るときは、地に両手をつき額を土につけて拝するのを礼としたの
である。通常、人に逢うときは、その相対する人の身分によって中腰となり、あるいは頭のみを
屈めて礼をする風俗は昔はもとよワ、今もユデヤ人の間に行われている。
日本には病床に貴人の見舞いがあれば病人は身を起こす風習がある。
明治初年岩倉具視公の重患を病床に見舞われた明治天皇に対して、岩倉公は侍医が止めるのも開かず病床に起坐して迎えたのである。

ユダヤ人も同じで創世記四十八章に、ヤコプが老年に達し、臨終が近づいたとき、
当時エジプト王国の宰相であった息子のヨゼフが見舞った様子が記してある。「ヨセフ二人の子
マナセとエフライムを伴いて病床に到る。人ヤコプに告げてヨセフ汝の許に来るといいければ、
ヤコプ強いて床の上に坐す」。これは宰相の位に対しての礼である。
 通常の挨拶には、わが国の御機嫌ようの意味で、平安であるようにといい、念を入れるときに
は、あなたの家族も皆平安であるようにという。互いに別れるときもこれと同じ言葉の挨拶を繰
返すのである(出エジプト記四章)。

この礼は今日もユダヤ人の間に行われておリ、ユダヤ人はま
た挨拶の言葉の初めに親しい間柄であれば「アア」ぁるいは「ヤ」といい、ちょうどわが国で
「ヤア御機嫌よう」というのに似ている。わが国には言葉の初めと終りに、アア、ヤア、ハッ、
エエ、などをつける習慣があリユダヤ人と似ているのである。

『源平盛衰記』の大将の言葉に「ヤアヤア、寄手の大将は誰人ぞ。
鉄壁六波羅の門口に踏み入
ったるは殊勝なリ」といい、徳川時代には上使に対して、「ハッ、今般将軍家よりの御上使、遠
路御苦労に存じ奉る」などといったのはその一例である。
 

上代、すでに神武天皇の頃にあったよ
うで、『古事記』には神武天皇が凶賊兄宇枷其を誅殺したときの御歌の終りに、「エエ、しやこ
しや、こはいごのうぞ。アア、しやこしや、こはあざわらうぞ」とある。ユダヤ経典の詩編第十、
第十二、第十三、第十七、第二十五、第二十人、第四十二、第四十四、第五十一、第五十六、第
六十一、 第六十三、第六十五、第七十九、第百三十編等の歌はすべてアアの言葉を以て姑まって
いるのである。
 
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