また日本は海に囲まれた国なので上代から船舶があり、航海の術に長けていたことは明らかで
ある。神武天皇が九州を発して紀伊に入ったときにも船舶を利用したので、その造船および航海
の術が発達していたことは後人の想像以上であろう。
ユダヤでも造船および航海の術は古くから発達していた。列王記上九章に「ソロモン王エドム
の地紅海の浜に放てエラテの辺りにて舟数隻を造れリ。ヒラムは海の事を知れる舟人なる其の僕
をソロモンの僕と共に其の船にて遺せり」とある。エゼキエル書二十七章に「セニルの樅をもて
船板を作り、レバノンより香柏を取りて帆柱を作リ、バシヤンの樫をもて汝のかいを作り、帆はエ
ジプトより至れるあや布にして、汝の水手はシドンとアルワデの人なリ。
ツロの賢き者舵取りとな
る」とある。歴代誌下九章に「ソロモン王の船ヒラムの僕等を乗せてタルシシに往き三年毎に一
回その船タルシシより金銀象牙及び孔雀を載せて来たり」とある。
ヨナ書一章には「ヨナ船の奥に下っいて臥して睡眠せり。船長来たりて彼に云いけるは」とあ
る。このように船中には船長、舵取りおよび水夫もいたので相当大型のものであったと思われる。