投網と船

 投網は古来から日本人が最も好んで使用しているもので、その技術も巧妙を極める。パレスチ
ナに現住するユダヤ人は日本の投網と殆ど同一のものを使用し、これは古代のユダヤ時代のもの
と同じという。これを打つにはまず日本の仕方のように手で繰って腕にかけ、数メートル先に浮
遊する魚群を目がけて投げかけるのである。
 イザヤ書十九章に「漁者も嘆き、釣をたるる者は悲しみ、網を水の上に施くものはおとろうペ
し」とある。網を水の上に広げるのは、つまり投網のことである。ルカ伝五章に、「イエスはゲ
ネサレの湖の辺りに立ちて、岸に二隻の舟あるを見る。漁者は舟を離れて網を洗いおれリ。イエ
ス臼く水の深きところへ舟を進め網を投じて漁れ」とある。パレスチナの湖には色々な魚が多く
いて、ユダヤの魚の調理法もおもに塩焼で日本と同じである。

 また日本は海に囲まれた国なので上代から船舶があり、航海の術に長けていたことは明らかで
ある。神武天皇が九州を発して紀伊に入ったときにも船舶を利用したので、その造船および航海
の術が発達していたことは後人の想像以上であろう。
ユダヤでも造船および航海の術は古くから発達していた。列王記上九章に「ソロモン王エドム
の地紅海の浜に放てエラテの辺りにて舟数隻を造れリ。ヒラムは海の事を知れる舟人なる其の僕
をソロモンの僕と共に其の船にて遺せり」とある。エゼキエル書二十七章に「セニルの樅をもて
船板を作り、レバノンより香柏を取りて帆柱を作リ、バシヤンの樫をもて汝のかいを作り、帆はエ
ジプトより至れるあや布にして、汝の水手はシドンとアルワデの人なリ。

ツロの賢き者舵取りとな
る」とある。歴代誌下九章に「ソロモン王の船ヒラムの僕等を乗せてタルシシに往き三年毎に一
回その船タルシシより金銀象牙及び孔雀を載せて来たり」とある。
 ヨナ書一章には「ヨナ船の奥に下っいて臥して睡眠せり。船長来たりて彼に云いけるは」とあ
る。このように船中には船長、舵取りおよび水夫もいたので相当大型のものであったと思われる。 
 
 
 
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