結婚と角隠し

ユダヤ人が生めよ絶えよ栄えよと結婚を奨励したのは、祖先の血統を重んずる家族本位の考え
より来るもので、男女共に早婚で、男の児を生むのを喜ぶ風習があったことは日本と同じである。
わが国の上代のように新夫は新婦の家に通い、
あるいは同棲して舅に仕え二、三年の後に独立し
て家庭を持つのが普通であった。結婚の制度は太古からあって、紀元前千七百二十八年の頃すで
にこの制度があったことは、ユダヤ経典に見える。
 創世記三十四章に「我子シケム心に汝の娘を恋う。願くは娘を我子に与えて妻となさしめよ。
汝等我等と婚姻をなし汝等の娘を我等に与え、我等の女を汝等に娶れ」とある。

これは今から約
贋三千七百年前の記録であリ、婚姻の制度が古くよりあったのが分かる。父母兄弟の同意がなく、
 また結婚の儀式を経ずして結婚する者は殺されたと同書三十四章にある。即ちヤコプの娘デナが
 ヒビ族の男子に辱しめられたとき、その兄弟等は殺戮して復讐したのである。「各々剣をとり往
 きて不意に邑を襲い、男子を悉く殺し、利刃をもて侵したるシケムを殺し、彼の家より妹デナを
 携えいでたり」。

  また同族結婚の風習であったことは、創世記二十八章に「父はヤコブを呼びて之を祝し之に命
 じて言いけるは、汝カナンの女の中より妻を娶る勿れ。起ちてバタンアラムに往き汝の母の父ベ
 トエルの家に到リ、彼処にて汝の母の兄ラバンの娘の中より妻を娶れ」とある。若き兄が死んだ
 とき、弟が捜を娶る風習があったことは同書三十八章に「ユダは長男エルのために妻を迎う。長
 男エル、エホバの前に悪をなしたればエホバ彼を死なしむ。ここにユダは次子オナンに告げてい
 う。汝の兄の妻の所にいりて之を娶り、汝の亡兄の為に子を得せしめよ」とある。

申命記二十五
 章に「兄弟の中の一人死して子を遺さざる時は、その死にたる者の妻いでて他人に嫁ぐべからず。
 その夫の兄弟これを娶りて妻となし、斯してその夫の兄弟たる道をこれに尽くし」とある。姉より
 先に妹を嫁がせない風習があったことは、創世記二十九章に、「ラバンいいけるは、姉より先に
 妹を嫁がしむる事は、我国にて為さざるところなリ」と記されてある。これらはいずれも古来日本にあった習慣と同一である。

 わが国の一見奇異な習慣を、その由来が何であるかを知らずに無意識に行い、誰も不思議に思
わない場合も少なくない。結婚のときに婦人の頭に白い絹を十五センチ位の巾にして巻き、これ
を角隠しと称するのはその一例である。そしてこれがまた古代ユダヤの風習から出たものなので
ある。
ユダヤの貴女は外出のとき、薄い絹のスカーフを頭より被って顔を覆う風習があった。そして
頭より胸部の辺まで垂れる薄い絹布が目や口にふれないよう、陶器または身分に応して金や銀な
どで作った短く前方に少し曲がった角を、鉢巻のようなものにつけて前額に当てた。鉢巻の両端を
後頭部で結びその上より絹を垂れたもので、今日のユダヤ人の間にはこの風習は全く廃れ、ただパレスチナのレバノン山の奥に住む婦女などに稀にこれを見ることがあるという。

 しかし古代にあってはこの角を頭の飾りとすることが大いに流行し、王女などは黄金の角に宝
石などをちりばめ一種の誇りとしたのである。詩編第百十二編に、「その正義はとこしえに失わ
るる事なし。その頭飾りの角はあがめをうけて挙げられん」とあるので、この詩編を書いたダビ
デ王の時代に流行したものであろう。わが国の新婦が頭に白い絹を巻きこれを角隠しというのは
ユダヤの遺風で、婚姻のときに顔覆いを角のついた鉢巻に巻き揚げて角を覆うところから角隠し
の名が起ったのである。女は罪障深きものなのでその角を隠すための角隠しであるというのはこ
じつけの俗説である。
 
  -----------------------------7d52711d80482 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream