祝宴と、酒杯を飲み回すこと

 わが国では饗宴のことを、ぶるまいといい、冠婚葬祭その他の祝いにしばしば客をもてなす風
習がある。都合では料理店で開くことが多いが、地方では今も、昔のように個人の家々で行われ
習がある。都会では料理店で開くことが多いが、地方では今も、昔のように個人の家々で行われ
ている。その際には前以て案内をし、なお当日人をやって客を迎えにいくことがある。またわが
国の宴会などで盃を持ち回り、飲酒を強くすすめる風習がある。これ等のことは日本人が無意識
に行っているが、実は古い由来があるのである。
ユダヤ人はしばしば饗宴を開き客をもてなした。そしてその風習は殆ど日本の風習に酷似して
いる。宴を開くときには客は前以て案内を受けるのみならず、当日支度の整ったとき、家僕を迎
えにやるのを礼とした。新約聖書のルカ伝十四章に「ある人おおいなる宴宴を設けて多くの賓客
を請けリ。

宴のとき家僕をその招きたる人々に遺して、すべての物はや備りたれば来たるべしと
言わせ、」、土師記十四章に「習例に従いてそこに饗宴をもうけたるに、サムソンを見て三十人の
者をつれ来たり」とある。
ユダヤ人の風習に、わが国と同しく、主人あるいは客人同士が他の人の口中に食物を無理に入
れて食べさせることがある。これはその人に対して親切であるという表現である。
 日本人が宴席において酒盃を人と飲み回す風習は今日でも見られる。そしてこの風習が昔から
あったことは『太平記』に「舟木庄司輝義一族相具し、種々の酒肴をかかせて参向せり。純友喜び
対面し、献酌順に下りまた逆に廻って満座酔を催しける」とある。酒盃を一座の上下二回に回し
て飲んだことが分かる。

ユダヤ人にもこの習慣があった。饗宴のとき、その主人である者がまず酒杯をとリ、これを賓客と飲み回す風習である。新約聖書のマタイ伝二十六章に「また杯を取りて謝し彼等に与えてい
いけるは、汝等みな此の杯より飲め」、エレミヤ哀歌四章に「ウズの地に住むエドムの女よ悦び
楽しめ。汝にもまたついに杯はめぐりゆかん」とある。キリストはその弟子達と別れる日が近づ
いたのを知ると、杯を弟子達に回して飲ませ、彼らと訣別したのである。

舞踏は日本の神代よりあリ、『古事記』天照大神の条に
宇受売の命天のまさかきを折郡襲して、天の香山の小伽卦を手革に結いて
天の香山の霞かの岩屋貰に空う筒け伏ムせ

神楽または神遊びといい、
わが国固有の古楽でありこれに付随した和琴、しゃく、拍子、横笛
等も上代より伝わったものであり当時盛んに行われたことが分かる。また古来の舞踏、外来の舞
踏の他に田舞という古くから行われた田植の舞がある。

ユダヤでも舞踏は太古から行われていて、詩編百四十九偏に彼等踊りつつその御名なをほめたたたえ琴と鼓にてエホバをほめうたうべし」とある。サムエル記下六章には「デビデ王ゆきて喜び
六歩行きたる時、タビデ力を極めてその前に踊れり」とある。ダビデはこのとき、喜びの余リ
裸踊りをしたのである。同章にまたサウル
の娘ミカルタビデを出迎えて云いけるは、イス
ラエルの王今日如何に威光ありしや、自ら遊蕩者のその身を露すが如く今日その臣僕の婦女のま
えにその裸身を露したまえリ、」とある。

昔はわが国にあっても裸体踊が行われていた。昔宮中の豊明の節会に、この日の神祭を喜び
楽しむ余リ、全くの無礼講で、御座所の近くにあって、大臣公卿の雲上人等は、いずれも隠芸
を演じ終には裸体踊をも行い、女官等と歌合せなどをすることも自由であったという。
上代は琴がありまた鼓もあった。『古事記』仲哀天皇の条に「天皇御琴をひかして、建内の宿禰
の大臣さにわに居て神の命を請いまつりき。
建内の宿繍の大臣申しけらく。畏し我が天皇、猶その
大御琴あそばせ」とある。

また建内の宿礪の歌の一節に次の句がある。「この御酒をかみけむ人
は、その鼓、臼に立てて歌いつつ」。

 日本には琴は古くから存在していて、大穴牟遅尊(大国王命)の時代にすでにあったことが
『古事記』に伝わっている。「その妻の詔琴を取り持たして逃げ出でます時に、その天の詔琴、樹
にふれて、地轟きぬ」と。即ち尊が妻、須世理比売を負い、
その妻の琴をも持出したのである。

ユダヤにも琴、鼓、笛その他の楽器があったことが経典に載っている。イザヤ書五章に「彼等
の酒宴には琴ありしつあり鼓あり笛あリ」、同書二十四章には「鼓のおとは静まり、歓ぶものの声
はやみ、琴の音もまたしづまれリ」、サムエル記下六章に「ダビデ及びイスラエルの全家は、琴
としつと鼓と鈴とシンバルをもちて力を極め謡を歌い」とある。また十絃の琴があったことを詩編
三十三編のダビデの歌に伝えている。「琴をもてエホバに感謝せよ。十絃の琴を以てエホバをほ
めうたえ」。

わが国で琴は桐材で作ったのであるが、
ユダヤで白檀で作った。列王記上十章に、「王は白
檀の木を以て神殿と王宮とに欄干を造リ、歌謡者のために琴としつを造れリ」と記している。笛が
あったことは、列王記上一章に、「民みな彼に随い上りて笛を吹き大いに喜び祝い」 とあるので
分かる。ダニエル書三章に「汝等ラッパ、しょう、琵琶、琴、ひちりきなどの諸々の楽器の音を聞く
時は平伏し」とあるので、それ等のものは中国の文化以前にすでにユダヤ民族がバビロンで経験していたの
である。琴が中国よりわが国に伝わったものではないことは明らかである。
 
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