ユダヤ人はエジプト脱出後、マンナと呼ばれた米を食し、今日のユダヤ人もパレスチナに住ん
でいる者は米を常食としている。普通麦粉を捏ね醸酵の種を入れて焼き、肉類野菜と共に食し、
急ぎの場合などには醗酵の種を入れぬもの、つまり粉を捏ねた餅を炊いて食べる。餅は、薄く延
ばしたものを手でさいて食べる。故に経典には餅をさくという記述が多くあり、いずれも食事を
意味している。餅は火に両面を焙って食べた。ユダヤ人の諺では、つまらないことを″ひっくり
返さない餅″といった。ホセア書七章に「エフライムは、異邦人に入り妙じる。
彼はかえさざる餅となれリ」とある。即ちつまらぬ人間となってしまったという意味で、
片あぶりの餅にたとえた
のである。わが国でねたみ深い人を焼餅を焼く人という。これもユダヤ人の使う言葉で、しつこい
人に対していう。
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ユダヤ人はまたきびや大麦の煮たものに麦粉を加えて団子をこしらえこれをスープで煮て食べる。
わが国、特に秋田地方で俗にヤマモチと称し、黍または粟などで団子をこしらえこれを魚などを
入れた汁で煮て食べるのは、はなはだユダヤの風習に似ているのである。
わが国でイナゴを食べる習慣がある。ユダヤ人もイナゴを食用とした。レビ記十一章に「その
中にて蝗虫の類、大イナゴと小イナゴの類、バッタの類を汝等食うことを得べし」とある。ただ
し上流の人は食わず、貧者の食物であった。その調理法はわが国と同じで炒ったイナゴを煮付け、
あるいは塩をつけて食べた。
キリストに洗礼を授けたヨハネは、清貧で常にイナゴを常食とした聖人であると聖書に伝わっ
ている。経典には麦については記されていて稲のことは見あたらないが、イナゴの存在によって、
稲を作っていたことが分かるのである。著者はかつてロシアの古い教会堂で、等身大のキリスト
像に大椀に盛った米飯と、米の餅で丸い形のものを供えてあるのを見た。これはユダヤ人
であるキリストが生前これを常食とした故に、その地では作られていない米を、どこからか買い
求めて飯をたいて献げたものであろう。