飲食の事

 わが国の上代よりすでに麦、米、栗、稗、大豆小豆等があリ、天照大神の時代に米を作ったこ
とが古事記に載っている。その食べ方は今のようではなく、玄米のままで焙りあるいは蒸して常
食とした。また粉にして団子にして食べたのである。肉類は鹿を初め猪、兎の類や鳥、魚介類を
食べた。野菜も種類が多く、また葡萄、栗、靴鮎等を食べ、調味料には食塩を使ったことが『古
事記』 に載っている。仙台塩釜神社に、神代より伝わる塩を煮た釜があるのがその証拠である。
昔は兵糧などに団子を携帯した。『鹿島志』の鹿島神宮祭典の条に「七月十日、家々にいながらを
以て人形を造リ、竹を以て両刀とし、之を門前に置く。小麦粉の団子を供して兵糧と云う。土俗
相伝う太古鹿島の大神、陸奥の賊を征する時、国人之が為に兵役に供したり。その遺風今に伝わ
るものにて、大助は援兵の義、即ち御援の詞の訛れる也」とある。粉を捏ねて団子を作リこれを
焼いたものであろう。こうした焼団子は塩前餅と共に今日まで伝わっている。

 ユダヤ人はエジプト脱出後、マンナと呼ばれた米を食し、今日のユダヤ人もパレスチナに住ん
でいる者は米を常食としている。普通麦粉を捏ね醸酵の種を入れて焼き、肉類野菜と共に食し、
急ぎの場合などには醗酵の種を入れぬもの、つまり粉を捏ねた餅を炊いて食べる。餅は、薄く延
ばしたものを手でさいて食べる。故に経典には餅をさくという記述が多くあり、いずれも食事を
意味している。餅は火に両面を焙って食べた。ユダヤ人の諺では、つまらないことを″ひっくり
返さない餅″といった。ホセア書七章に「エフライムは、異邦人に入り妙じる。
彼はかえさざる餅となれリ」とある。即ちつまらぬ人間となってしまったという意味で、
片あぶりの餅にたとえた
のである。わが国でねたみ深い人を焼餅を焼く人という。これもユダヤ人の使う言葉で、しつこい
人に対していう。    
                          .
ユダヤ人はまたきびや大麦の煮たものに麦粉を加えて団子をこしらえこれをスープで煮て食べる。
わが国、特に秋田地方で俗にヤマモチと称し、黍または粟などで団子をこしらえこれを魚などを
入れた汁で煮て食べるのは、はなはだユダヤの風習に似ているのである。
わが国でイナゴを食べる習慣がある。ユダヤ人もイナゴを食用とした。レビ記十一章に「その
中にて蝗虫の類、大イナゴと小イナゴの類、バッタの類を汝等食うことを得べし」とある。ただ
し上流の人は食わず、貧者の食物であった。その調理法はわが国と同じで炒ったイナゴを煮付け、
あるいは塩をつけて食べた。

 キリストに洗礼を授けたヨハネは、清貧で常にイナゴを常食とした聖人であると聖書に伝わっ
ている。経典には麦については記されていて稲のことは見あたらないが、イナゴの存在によって、
稲を作っていたことが分かるのである。著者はかつてロシアの古い教会堂で、等身大のキリスト
像に大椀に盛った米飯と、米の餅で丸い形のものを供えてあるのを見た。これはユダヤ人
であるキリストが生前これを常食とした故に、その地では作られていない米を、どこからか買い
求めて飯をたいて献げたものであろう。
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